荒木神社
あらきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】荒木神社 伊豆国 田方郡鎮座

   【現社名】荒木神社
   【住所】静岡県伊豆の国市原木90
       北緯35度3分34秒,東経138度56分29秒
   【祭神】天津日子根命
   【例祭】10月18日近い日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創建の時期年代は定め難い
       豊臣秀吉の小田原城攻めの際兵火に罹る
       明治12年郷社
       明治40年4月12日神饌幣帛供進社指定

   【関係氏族】茨城国造
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鞍掛明神」と称していた
       正徳5年(1715)迄は「茨木神社」と称していた

   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

国道136号の脇に鎮座している。
和名抄にある茨城郷の中心となる神社であった。
茨城国造の一族のものが、当地に移り住み、その祖神を祀つたのが荒木神社であつたと思われる。
境内右手に『荒木神社の大クス』(幹周囲6.63m  樹高28m)がある。


式内社郷社 荒木神社

神社名 荒木神社 (茨城神社 鞍掛神社)
鎮座地 原木上町90番地の一外
御祭神 天津日子根命
例祭日 10月18日
創建 不詳
由緒 創建はさだかでないが、境内や隣接する荒木遺跡からは古墳時代の祭祀土器が見つかり・遺跡包蔵地に指定されているごとからも神社の存在が推測される
延喜式神名帳(905)に荒木神社社名があり「伊豆の国神名帳」に正四位上あらきの明神と記載されている中古は茨城神社、鞍掛神社とも称しており、歴史ある神社といえる
原木の地名は「荒木神社」「茨城郷」の「あらき」「いばらき」が「ばらき」に転訛したものと考えられている
例祭に奉納される「日の出三番叟」は古くから引き継がれている

社頭掲示板



荒木神社

荒木は阿良岐と訓べし○祭神詳ならず○茨城郷原木村に在す、(国図志)、例祭
考証云、在北條村〇伊豆志に、東鑑に、荊木村アリ、荒木原木皆語転也、且神田ニ荒真木ノ名アリ、正徳5年マデハ、棟札ニ茨木神社トアリ、近キ比鞍掛明神ト云フ、といへり、
類社
大和國宇智郡荒木神社の條見合すべし
神位
國内神階記云、正四位上あらきの明神、

神社覈録



郷社 荒木神社

祭神 天津日子根命 旧と茨木神社とも、鞍掛明神とも称せり、創立年代詳ならず、但、延喜式内社にして、小社に列せられ、当国神階帳に、正四位上ありまの明神と見えたり、豆州志稿に云く、「鞍掛明神、云々、式内荒木神社也、茨木、荊木、荒木、厚木、皆語の転訛也、(按ズルニ、和名鈔ニ、越後国頸城郡原木(阿良幾)トアレバ、原木即アラキト訓ミシナラム)且神田に荒真木の名あり(村中ニ荒木里等地名アリ、尚縁故アル称存ス)正徳5年迄は、棟札に茨木神社と記す、鞍掛明神と称するは近頃也」
と、式社考案更に、荒幾、荒木免、向新城畑の地名を挙げて、「当所たること疑ひなかるべし」と称せり、慶長年間豊臣氏、韮山を攻むるに当り、当社亦兵焚に犯され、爾来社頭衰頽せりと、明治6年村社に列せられ、次いで12年7月郷社に昇格す。
社殿は本殿、幣殿、其の他庁屋等あり、正徳5年以後の再建なるべしと、境内は870坪(官有地第一種)あり、別殿熊野貴舟の両社は、慶応2年境外より遷祀し奉りしものなり。

明治神社誌料



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