国道136号の脇に鎮座している。 和名抄にある茨城郷の中心となる神社であった。 茨城国造の一族のものが、当地に移り住み、その祖神を祀つたのが荒木神社であつたと思われる。 境内右手に『荒木神社の大クス』(幹周囲6.63m 樹高28m)がある。 |
式内社郷社 荒木神社 神社名 荒木神社 (茨城神社 鞍掛神社) 鎮座地 原木上町90番地の一外 御祭神 天津日子根命 例祭日 10月18日 創建 不詳 由緒 創建はさだかでないが、境内や隣接する荒木遺跡からは古墳時代の祭祀土器が見つかり・遺跡包蔵地に指定されているごとからも神社の存在が推測される 延喜式神名帳(905)に荒木神社社名があり「伊豆の国神名帳」に正四位上あらきの明神と記載されている中古は茨城神社、鞍掛神社とも称しており、歴史ある神社といえる 原木の地名は「荒木神社」「茨城郷」の「あらき」「いばらき」が「ばらき」に転訛したものと考えられている 例祭に奉納される「日の出三番叟」は古くから引き継がれている 社頭掲示板 |
荒木神社 荒木は阿良岐と訓べし○祭神詳ならず○茨城郷原木村に在す、(国図志)、例祭 考証云、在北條村〇伊豆志に、東鑑に、荊木村アリ、荒木原木皆語転也、且神田ニ荒真木ノ名アリ、正徳5年マデハ、棟札ニ茨木神社トアリ、近キ比鞍掛明神ト云フ、といへり、 類社 大和國宇智郡荒木神社の條見合すべし 神位 國内神階記云、正四位上あらきの明神、 神社覈録 |
郷社 荒木神社 祭神 天津日子根命 旧と茨木神社とも、鞍掛明神とも称せり、創立年代詳ならず、但、延喜式内社にして、小社に列せられ、当国神階帳に、正四位上ありまの明神と見えたり、豆州志稿に云く、「鞍掛明神、云々、式内荒木神社也、茨木、荊木、荒木、厚木、皆語の転訛也、(按ズルニ、和名鈔ニ、越後国頸城郡原木(阿良幾)トアレバ、原木即アラキト訓ミシナラム)且神田に荒真木の名あり(村中ニ荒木里等地名アリ、尚縁故アル称存ス)正徳5年迄は、棟札に茨木神社と記す、鞍掛明神と称するは近頃也」 と、式社考案更に、荒幾、荒木免、向新城畑の地名を挙げて、「当所たること疑ひなかるべし」と称せり、慶長年間豊臣氏、韮山を攻むるに当り、当社亦兵焚に犯され、爾来社頭衰頽せりと、明治6年村社に列せられ、次いで12年7月郷社に昇格す。 社殿は本殿、幣殿、其の他庁屋等あり、正徳5年以後の再建なるべしと、境内は870坪(官有地第一種)あり、別殿熊野貴舟の両社は、慶応2年境外より遷祀し奉りしものなり。 明治神社誌料 |