竹麻神社三座の三嶋大神・后神・御子神が神津島から上陸された場所で 更に この地から田方の三島大社に遷座されたと伝承されている。 承和5年(838)より同7年の間、上津嶋(現在の神津嶋)で激烈な噴火があった。 この神異がもとで、同10月14日、「奉授無位阿波神、物忌奈乃神並從五位下、以伊豆国造島霊験也」と授階された。 当社は、主神三島神を含めたその遙拝所を現在の鯉名川と青野川とが合流する地の附近(往昔は、この辺まで海湾で鯉名の大港と称された)現在、字月間の地名を残すところに造営されたものと伝える。 また一説に、神津島より弁天島に渡り、字笑止(わらうど)(笑戸とも記す)より上陸し当地へ鎮座したともいう。 その後、阿波神を朝日里(現在の吉佐美)へ分祀し(八幡神社)、建久3年(1192)手石へ遷宮の時、物忌奈神を湊へ分祀(若宮神社)したものという。 往古手石湾はもっと深くに入り込んでおり、「鯉名の大港」と呼ばれていた。竹麻神社も初めはその大港の奥、現在の青市との境近くの南伊豆東小学校・東中学校のあたりに鎮座していたと伝わっている。 竹麻神社は鯉名の大港の縮小に伴い、現社地へ遷座。さらに分裂遷座したと考えられている。 |
月間神社縁起 祭神 三島大明神 事代主命 (えびす様) 合起 神明社 境内社 氷神社 (罔象女神 水速女神) 社格 延喜式内社 旧郷社 創建 嘉祥年間(848〜850) 三座が神津島から伝来し竹麻神社となる 三島大明神手石月間神社に遷宮 阿波神(本后)吉佐美の八幡神社に分祀 物忌奈神(第一皇子)湊の若宮神社に合祀 社頭掲示板 |
郷社 月間神社 祭神 事代主命 相殿 天照皇大神 元と竹麻神社と称し、本郡湊村月間に鎮座あらせられしを、地理の変遷に因り、三所に分祀す一は当社にして、他は吉佐美村鎮座三島明神、湊村若営八幡なりと、創立年代詳ならず、但し村人は、三島大社の旧地なりといふよし豆州志稿に見えたり、廷喜の制、小社に列せられ、神位は当國神階帳に、從四位上月まの明神と見えたり、後ち正一位に至らせ給へるにやあらん、社藏の古額に正一位三島大明神と刻せるもの二面あり、古来手石、湊、青市三村の鎮守にして、康永元年11月の棟札、其他同2年の沙門友桂の寄進状、廷徳2年の棟札を藏し、又婁年祠域より古佛武具等を堀出せしことありと。明治6年9月村社に列し、同16年12月郷社に昇格す、社殿は本殿、拝殿等を具備し、境内は2296坪(官有地第一種)あり、相殿天照皇大神は、元と本村字日野に鎮座の神にて古社なりしが、明治8年12月合祀す。 明治神社誌料 |