湾の見える山腹にあり。彫刻・彩色の美しい神社。 妻良は古くから開けた土地で、奈良平城宮跡出土の木簡で天平勝宝8年(756)の出土品中に「美良里」と云う地名のあるものがある。 『伊豆国式社考略』では妻良村三島神社の二座のうちの一座を大津往命神社としている。 正中2年(1325)の社記に「神代の昔 三島大神と溝?姫命と御船にて渡来たまい 当浦より上がりたまう とみえ 一座は姫神なるも所由あり 村名の妻浦も姫神鎮座の地なるより 比賣浦の略と聞こゆ」とある。 |
北条水軍妻良衆の力石 重量280Kg 戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍であった。 彼らは、北条氏治世100年の中で伊豆衆と呼ばれ、その剛勇ぶりはつとに有名であった。 その勇士達が、平素身体鍛錬のためにかつぎ、差し上げたのがこの石で、その名も力石と名づけられ今日まで伝えられている。 特に、北条氏と豊臣氏の戦雲急な頃、妻良沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状を贈られ、その武勇を賞賛されたのであるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。 昭和60年5月 社頭掲示板 |
大津往命神社 大津往は於保都由岐と訓べし〇祭神明か也〇手石村に在す、今王子宮と称す(志) 伊豆志に、大津往ハ古昔此邊ノ小地名ナルベシ、三島森ト相対ス、三嶋神ノ御子ナラン、と云り、 神位 國内神階記云、從四位上おほつゆき姫の明神、 神社覈録 |