「三島記」に大島に置き給うた「羽分(ハブノ)大后」の御腹に生れた長子「太郎王子おほい所」にあて、本島開創の始祖として祀られた。 旧地は阿治古、現地より東南山中。 文正2年(1466)またはそれ以前に現在地へ遷。 境外神社に三原神社がある。三原山の内輪山頂上に位置しているが、本來は社殿無く噴火の山そのものを御神体と崇めた神社であった。 |
大宮神社 「阿治古」とよぶ古い地がここからは南の山中にあり、集落を営なんでいた昔日の人々は三原山の降灰を恐れ室町時代1466年祭神阿治古命を奉じて大宮のこの地へ遷座移住した。 それまでは阿治古神社と称すと古い記録にあります。 阿治古命は大国主命の孫で大島を開いたと伝えられます。 境内に茂るシイの巨木の群叢は都の天然記念物に神宝菊花散双鳥文の銅鏡は鎌倉時代の作で都の重宝文化財に指定されています。 現在は天照大神と合祀。 大島町 社頭掲示板 |
大宮神社 昔は野増の北方阿治古の地に社殿があったが、数次の三原山噴火による焼失のため、いつの頃からか現在の大宮の地に遷座し奉ったのであるが、その年代は定かではない。 東京都神社庁 |
大宮神社 阿治古と呼ぶ古い地域が、ここ大宮の地から南の山中にあり、集落を形成していた。集落の人々は三原山のたびたびの噴火降灰により室町時代(1466年)に祭神阿治古命(波浮比当スの子)を奉じて大宮のこの地に遷座した。それまでは、阿治古神社と称していた。 現在の祭神は阿治古命と天照皇大神の二柱で、大宮に遷ってから天照皇大神を増祀したと伝えられている。 参道から神社の周囲には、百十数本のシイの木が群生し、昭和14年12月東京都指定天然記念物に、昭和33年10月御神体の菊花散双鳥文の 銅鏡(鎌倉時代の作)は、東京都有形文化財に指定されている。 平成4年3月 大島町 社頭掲示板 |
阿治古神社 阿治古は假字也○祭神在所等詳ならず 神社覈録 |
郷社 大宮神社 祭神 天照皇大神 当社の創建年代其他由縁等につきては、大島の旧紀悉く焼失したるを以て知るに由なしと雖、古老の口碑に依れば当村人民の租伊勢より渡来し、天照大神を勧請し奉りしものなりと、明治6年12月郷社に列す。 社殿は本殿及額殿を有するのみにして、境内1220坪{官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |