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式社名を志理太乎宜神社と表記する文献もある。 『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「五番志たひ」が志理太宜命であり、当社の祭神とする。 拝殿の先100mほどに大きな岩がある。この大岩の上一帯は、「ご神域」と呼ばれている。ご神域の周囲はあたかも屏風をたてかけたようで見上げるほどの大岩石が直立し、その下に木造の小祠が置いてある。 現在、本殿は二扉となつている、姫宮が合祀されていると思われる。 境内神社は本殿の右側に十一座祭つてある。いづれも社殿はないが、それぞれに御幣を一本つつ刺してある。 平成12年6月の火山活動に伴い発生した泥流によりこの地域一帯が埋没し、旧鳥居と旧拝殿は埋没した状態で残っている。 森谷ひろみ氏はこの地は佐伎多麻比当ス神社の社地であったとする。 |
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椎取神社 この神社には、佐伎多麻此当スの第八子志理太宣命が祀られていて、別名志理太宣神社とよぶ式内社である。 神社にむかつて左側の熔岩原は、昭和15年7月の噴火で埋没するまでは自然が創りあげた島内唯一の自然の良港があった。 事代主命が三宅島に渡られた時、上陸の第一歩はこの地とされている。 「三宅記」によれば、 「三女おば神着に浦あり、"シトリ"と名付くなり、これに斎いまいらすべし。」 「また三女おば、嶋の丑寅(北東)の方に置きまいらせ、一番なご、二番かね、三番やす、四番てい、五番したい、六番くらひ、七番たかすけ、八番ひんすけとそ申しまいらしける。かの王子達生みまいらせ給うところは、嶋の丑寅の方”かまつけ”と申す所にて生みまいらせ給う。七柱と申すところで育てまいらす。」と記されている。 そのことから、この地は事代主命と第四妃佐伎多麻比群命の愛の巣とも伝えられている。三宅島における神話発祥の地でもある。 平成12年6月の火山活動に伴い発生した泥流によりこの地域一帯が埋没した。 三宅村 社頭掲示板 |
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椎取神社 都道わきの拝殿を谷にそって南西に約100m(目測)入り、北西へ水平約50m垂直約6m(目測)のぼった海抜約25mのところに、椎取神社の「御神域」がある。みかけの厚さ約8m(目測)の溶岩流の岩蔭に、木製の小祠がある。 ちょうどお祭りが済んだ直後で、小祠には御飯が二つずつあげられ、その手前に小さい鳥居のひながたが二つあり、その前に板状の石がしかれ、御洗米が三つまみあげられていた。 この岩蔭は、溶岩の流れたもとの谷の谷壁をなしていた粗しょうな堆積物が、流水の浸食により流されてしまい、溶岩流の底の裏側があらわれてできたもので、「御神域」とよばれている。 小祠の向かって右手前約5m(目測)のところには、板状に割れた溶岩が板碑を立てたようにたてかけられ、古の御幣と二枚ずつ重ねたガクアジサイの葉に盛った御飯があげられている。その約1m(目測)右に同じような板石がたてかけられ、御幣が二本と同じような御飯のお供えが二つある。そのまた約1m(目測)右にごく小さい木造の小祠があり、御幣と御飯の供物が二つあげられている。 岩蔭の奥行約4m・幅70m(目測)のうち、溶岩流の下流すなわち低い方の約15m(目測)をつかって、前記のようなものが配置されている。 現在の土地利用は広葉樹林で、シイの大木が多くみられる。溶岩から受ける感じは、富士山麓にみられる剣丸尾より古いような感じがする。千葉大学近藤精造教授のご教授によればこの岩石のガスのぬけた小さい穴を方解石があとから埋めて来ており、古そうな感じのする玄武岩であるとのことであった。この溶岩には板状の節理がみられる。 都道から約10m(目測)西へ入ったところに木造の鳥居があり、更に30mゆくと拝殿がある。鳥居と拝殿との方向は北東−南西。拝殿から御神域までは水平約80m(目測)で、シイの大木が多い。 御神域の溶岩流が流れた時の谷底の土が焼けてできた赤い焼土が、御神域に向かって一ばん右、小神域になっている岩蔭あたりに最も顕著にみられ、向かって右の方へとつづいている。焼土の厚みは、はっきり測れる部分がないが、約40−50cmぐらいである。焼け土の次に溶岩流の急に冷えた粗しょうの部分が厚さ約20cmぐらいあり、それが風化のため、ややそりのある板状節理にしたがって剥れると、溶岩の中心部があらわれてくる。溶岩の底の急に冷えた粗しょうな部分には、シダ類・つる草類が、あまり密でなく生えている。 御神域の向かって右すなわち東の方には溶岩の粗しょうな部分が多く残っており、西の方がそのはがれた面が多く出ている。木造の小祠(御本殿)の東約3m(目測)で江戸初期の陶器破片一片、小祠の東約1m(目測)南で同じく室町時代の小鰐口(長径12.8cm、厚み4.1cm)一個を表面採集している。 この三宅島神着の椎取神社は、従来とも祭神は「志理太乎宜命」であると考えられて来ており、一応式内社志理太「乎」宜神社と考えてよいのではないかと思われる。しかし、別の機会に報告したいと思っているが、この神社の立地は、元来式内社佐伎多麻比当ス神社そのものであったものが、度重なる噴火により、近くに鎮座していた式内社志理太「乎」宜神社が遷座を余儀なくされて、式内社佐伎多麻比当ス神社と共に祀られるようになり、その後いつの間にか志理太「乎」宜神社だけということになってしまったものではないかと考えられるにいたった。 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 森谷ひろみ |
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ジオスポット 椎取神社 椎取(しいとり)神社を取り囲む原生林は、三宅島の中でも特に深く神々しい森でした。 2000年噴火では、島の北東部に大量の火山灰が降り注ぎ、大雨になると水を含んだ火山灰が斜面を流れくだりました(火山泥流)。さらに、中腹の山肌を削って土砂を巻さ込んだものは土石流となって、山麓を襲いました。 椎取神社の森は、泥流に埋まって根からの呼吸が困難になり、その後の火山ガスの影響もあって、数年後には壊減状態になりました。 しかしながら、今では、森の再生が着々と進んでいるのが観察できます。 社頭掲示板 |
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三宅島椎取神社の樹叢と溶岩流 伊豆諸島はシイノキを中心とする、典型的な照葉樹林帯となっています。 その中で三宅島の植物は、本州と共通種が多いですが、亜熱帯的あるいは暖温帯的な要素も多くみられます。 三宅島はまた火山活動が活発な島で、昭和以降、大きな噴火は4回を数えています。 椎取神社の境域は、有史以前の溶岩流と昭和期の溶岩流を含み、神社の近くには古い溶岩流の産状をよく観察することができます。 古い溶岩流にはスダジイ・タブを中心とする照葉樹が繁茂し、新期溶岩流にはオオバヤシャブシ・クロマツなどの幼樹が定着しはじめています。 東京都教育委員会 社頭掲示板 |