下田富士と呼ばれる地で、その山頂に淺間神社が祀られている。 「この下田富士の淺間神社は現在祭神を木花開耶姫命として、意波與命を奉齋してゐない。これよりすると、式内意波與命神社は早い時期に廃絶したかとみられるが、康永2年(1343)奥書のある『伊豆國神階帳』にみられる「從四位上いわよ姫の明神」が、それとすると、少なくとも中世には嚴として存在したこととなる。」(式内社調査報告) 地元に伝わる伝説によると、下田富士は富士山と八丈富士(八丈島)の3姉妹の長女。ごつごつした岩でできた山肌は醜いため、次女の富士山の美しさに引け目を感じ、天城山をびょうぶにして身をかがめてしまった。姉を心配する富士山はどんどんと背丈を伸ばし、隠れようとする下田富士は一層身をかがめていった―とされる。 |
鳥居場の跡 ここに鳥居が1981年まで建っていた。 松平定信の巡視に従って来た谷文晁の絵に鳥居がかいてある(寛政5年1793)、黒船乗務員ハイネの絵にもある(1854)。 それより昔ここからふじやまの神々(九祠)を拝んだことであろう(1528享禄元年)。 祠もないころはこの場から山を拝んだ名残であろうか。 社頭掲示板 |
富士山世界文化遺産登録! 下田富士には、日本一の富士山との間でこんな昔話がありますのでご紹介します。 下田富士と、駿河の富士と、八丈島の富士は、三姉妹でありました。駿河の富士は、たいへんきれいで、だれからも、ほめられていましたが、姉の下田富士は、ごつごつしていて、みにくかったので、だれも見てくれませんでした。 下田富士は、これを悲しみ、また妹の駿河の富士をうとましく思い、いろいろ考えたすえ、「もう駿河の妹の顔は見たくない。」と、天城山をびょうぶのように立ててしまいました。きだてのやさしい、駿河の富士山は、姉さんの下田富士の事が心配で、「姉さんはどうしているんだろう。どうかお心持ちがなおりますように。」と、朝タ、毎日伸びあがったので、だんだん背が高くなり、とうとう日本一高い山になったそうです。 そして、こうしたお姉さん達の様子を見て、八丈島の富士は、「どうか姉さん達が仲良くなりますように。」と、一人で心配しながら遠くの海から、一生懸命、祈り続けていたそうです。 社頭掲示板 |
意波與命神社 意波與は假字也○祭神明か也○在所詳ならず 神位 國内神階記云、從四位上いはよ姫の明神 神社覈録 |