来宮神社
きのみやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】杉桙別命神社 伊豆国 賀茂郡鎮座

   【現社名】来宮神社
   【住所】静岡県伊豆市八幡106
       34度57分26秒,139度0分9秒
   【祭神】五十猛命
   【例祭】10月19日近い日曜日 例祭
   【社格】
   【由緒】貞和年中(1345〜49)創建
       弘和2年(1382)宮殿建立

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

貞和年中(1345〜49)に藤原祐義公が新しく宮殿を建てられたのが初めてであると書かれてある
式内社杉桙別命神社に比定する説もある。


来宮神杜奥の五輪塔

鎌倉時代のころ、比の地方に戦いがあり、敗れた某家の武士は、附近の来宮神杜裏山の木の洞に逃れたが、近くにつないだ馬が噺いたため、追ってきた敵方に見っかり、遂に討ち取られてしまった。そして、其の死骸は野ざらしとなっていた。
八幡町屋に住んでいた土屋氏という武士が、その死を憐れみ来宮神杜の裏山に埋葬し、墓石を建てその霊を祀った。
年代を経過すると共に、供養した土屋家も絶え、墓石も土中に埋もれ、そのまま誰れからも忘れ去られていった。
近年(年代不詳)に至り、墓所の近くに住む山本家の馬が病気になり、伯楽も(馬の医者)見放すほどの重態となった。
そして、ある夜家人(老母)の夢枕に武士が現われ、「吾れは、来宮神杜の裏山に埋葬されている者であるが、年経るにつれて墓守も絶え、土中に埋もれ今に至っている。願わくぼ墓石を掘りだし、供養して呉れるならぼ此家の馬の病魔を退散させよう。場所は来宮神杜裏山の栗の大木の根元を掘って見るがよい。」
と告げて消えた。
家人は、直ちにその場所を掘ると、たしかに五輪塔が現れた。場所を移し、これを厚く祀り供養した。すると不思議にも重態であった馬も、元のように元気になった。

伝承



来宮神社の大クスノキ

当社は、かつて大見十六ヶ村の総鎮守であったが、それを物語るかのように境内入口に俗称「鳥居杉」と呼ばれる樹齢約400年の大木が中天に突き抜けている。
 本殿裏山への道を、およそ50mほど上った右側に4代目とみられるひこばえのクスノキがそびえている。この元木とみなされるクスノキは500年以上の古木で、表面が多くのコブ状を呈して空洞になっており、子どもが4、5人が立って入れるくらいの広さである。
 その昔、この洞穴に「敵の追手から逃れてひそかに隠れていた一人の武士が、ついに捕えられてしまった」との伝承をもつ歴史を秘めた由緒ある老木である。
 秋の例祭日には、この木の長寿にあやかって、新しい注連縄が飾られ、氏子の長寿と村の無事息災が祈願されている。
 伊豆市教育委員会

社頭掲示板



八幡来宮神社の鳥居杉

市指定文化財
八幡来宮神社の鳥居杉
来宮神社は、南北朝時代、弘和2年(1382年)に荒廃していた社殿が再建されました。
この烏居杉の樹令は、約400年以上といわれています。
むかし、境内には、このような老木が数本あったが、みな、枯れてしまったと、古老は語っております。
いくたびかの落雷のために、木肌がむき出ていたいたしいほどですが、中天につきぬけてそびえる二本の巨木は、崇高なまでに気高い姿を見せています。
大見の里を、永年見守り続けてきた、この老木をたいせつにしていきましょう。
伊豆市教育委員会
昭和55年度、指定

社頭掲示板



郷社 來宮神社

祭神 五十猛命
旧と木宮とも記せり、創立年代詳ならず、但し、豆州志稿に、「伝云、安元3年伊東祐清大見成家を襲ふ、成家遁れて当社に潜匿云々」と見え、正保2年の棟札に、貞和年間藤原朝臣祐義宮殿新造のよし見えたり、安元3年云々は、志稿既に「信偽を知らず」といひ、正保2年の宮殿新造が、創建なるや否やは不明なりといへども、今より五百年前の創建なるは疑ふべからざるなり、古来大見十六ケ村の総鎮守にして、社殿は一祠両扉、近郷著名の神社なり、為めに一時、式内社杉桙別命神社を以て擬せられたり、明治6年9月郷社に列す。
社殿は本殿、庁屋を備へ、境内は234坪(官有地第一種)を有す。

明治神社誌料



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