三島神社
みしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】許志伎命神社 伊豆国 賀茂郡鎮座

   【現社名】三島神社
   【住所】静岡県伊東市富戸686
       北緯34度54分23秒,東経139度8分2秒
   【祭神】事代主命 (配祀)若宮八幡
   【例祭】10月28日 例祭
   【社格】
   【由緒】天平年中(729〜49)創祀
       享和3年(1803年)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

創建の年代は詳かでないが、御祭神(三島大社の大神)が伊豆七島を開拓され、賀茂郡白浜村(現河津町白浜)から田方郡三島町(現静岡県三島市)へ御巡幸途中富戸が御神徳に浴したことから、産土神として奉祭したと云う。


三島神社

創建の年代は詳かでないが、現存する最古の棟札に『明暦四戊戌初秋三島明神是則天平年中(729〜49)出現国家擁護の神霊也』とあり、御祭神(三島大社の大神)が伊豆七島を開拓され、賀茂郡白浜村(現河津町白浜)から田方郡三島町(現静岡県三島市)へ御巡幸途中富戸が御神徳に浴したことから、産土神として奉祭したと云う。
元、鹿島神社と云ったが、後に三島神社と改めた。
又、源頼朝が伊豆に閉居された折の祈願社十七社の内の一社である。

社頭掲示板



参籠石

此の浜石は当区に若衆組の組織があった当時、若衆組だけの漁をしていた折不漁の時に一週間此の下の中庭で参籠と云って火を焚き神様に祈願をした。
その際若衆は毎夜参籠の後で素足とふんどし一つの身となり区民の寝静まるのを待って海岸へ行くのである。それは人に見られないことになっているもので時として会う場合は物陰にかくれて通り過ぎるのを待つのである。
寒風吹く暗夜午前一時過ぎに一斉にとび出した若衆は海岸へ行き暗い中を手でさぐり浜石をひろうのであるが最初に手をふれたのを持つのである。 これは大きいからこれは小さいからと選んではいけないきまりになっている。大きい石を持つ者小さい石を持つ者等は神前に祈りをこめて奉納した。それだけに大漁の祈願の真心は神様に通じ一週間の終わりには必ず大漁があったと云う。
その後敗戦国となって時代は大きく変り民主主義の世の中と云うことで当区の若衆組は解散しこの行事も終わったのであるが 数回に亘る参籠に奉納された浜石は数百個にもなってこの両側に積まれていたが境内の整備その他に使用され残りは裏側に積まれてありその一部をここに積んで当時の若者の意地と度胸と、信仰の尊い精神を偲ぶと共に後世に永く伝えべく保存するものなり。
平成5年正月
富戸三島神社

社頭掲示板



鶴丸と橘

永暦一年(1160)伊豆に流された源頼朝は宇佐美の宿に潜在中伊東の庄祐親の三女八重姫と音無の森で人目を忍ぶ仲となりやがて八重姫は頼朝の男子を出産し千鶴丸と名付けた。
これを知った平家の官領である父祐親は清盛に知られては一大事と八重姫から千鶴丸をうばい家来に命じて伊東の八代田にある川の稚児ヶ渕(千鶴丸を沈めた後につけられた名称)に体に石をつけて沈めたのである。
この折通る道側に鎌田神社の境内にあった橘の花の香り高く匂っていたので家来はせめての慰めにと小枝を二本おって両方の手ににぎらせ沈められた千鶴丸は、やがて石がとれて川を下り海へ出てこの富戸の宇根の海岸に着いたそれは丁度朝のことここで漁をしていた富戸の住人甚之右衛門(現時生川屋[なまかわや]の先祖である)と云う人が之れを見つけひろい上げたところ生れてまもない小児であり面も衣服は立派なものをまとっており両方の手には橘の小枝がみずみずしくもにぎっていた。
甚之右衛門はこれは高貴な方の小児であると思い丁重に側にあった岩(現在産衣岩[うぶきいわ]と云う)に安置し遺体を乾かして此の地に葬ったと云う。この時にぎっていた橘の小枝をいっしょに押したところ無残にも一命を絶たれた恩念はこの橘に移ったのか見事に根付き数年成長せしも千鶴丸のもとえ帰へりしか、枯死したため昭和八年村人達はこれをおしみ同じ橘を両側へ植えたのがこの橘である。右側は病気で枯れたのであるが残ったこの橘は年々香り高い花と実を結び見る者をして亡き幼子千鶴丸の面影がほうふつとして浮かんできます。
又村人達は千鶴丸をこの神社の相殿に若宮神社として祀ったのである。その後頼朝は、建久元年に右近上大将に任ぜられ引続いて建久三年に征夷大将軍に任ぜられた、このことを知った頼朝は甚之右衛門を呼び出され恩賞の御沙汰があった一つにはこれからはお前の性は生川[うぶかわ]と名のるがよい、二つには立派な茶器を授かったと云う、生川[うぶかわ]の姓は現在屋号としてつかわれているが呼び方は現在生川[なまかわ]と呼んでいる。
この一説は「増訂豆州志稿」にも記されている。

社頭掲示板






伊豆国INDEXへ        TOPページへ

学校DATA