神域を穢すと海が荒れるとの伝承がある。 氐良命神社に比定する。(広瀬進吾:三宅島史考) |
ジオスポット焼場 三宅島史によれば、「噴火は、明治7年(1874年)7月3日正午頃より始まり、雄山西北の中腹より大小の噴石を飛ばした。流出した溶岩により東郷集落の30軒余は埋没焼失した。翌4日は、坪田村のほうへ焼拡がり、5日は少し鎮まったが噴火は続いた。7日北東風晴れ。午前10時より雨、噴火は穏やかになり一同喜ぶ。流人の死者1名」とあります。 このときの溶岩流が流れ下った一帯を焼場(やけば)と呼んでいます。 噴火から140年を経てすっかり緑が回復していますが、よく観察すると松やヤマザクラ、オオバヤシャプシの幼樹が多いのに気がつきます。海岸では、この溶岩流が観察でき、これを掘削して、湯の浜漁港が作られました。このとき流出した溶岩の中には、大きな灰長石(かいちょうせき)の結晶が目立ちます。 社頭掲示板 |