神着字門ノ原に通称「バンバ山」という小丘がある。この中に「故易神社」という溶岩を神体とする小祠がある。「子楢山故易神社」「小橋明神」などとも呼ばれ沢に架かる橋を小橋と呼ぶことが関係していると思われる。この神社は現在「子安神社」になっている。(広瀬進吾:三宅島史考) |
子安宮の由来 子安宮は全国各地に鎮座するが、三宅島の子安宮の御神体も母体を像どる石祭神であって側に陰陽を表わす二個の石が祭られている。 三宅島の子安宮は明治4年足柄縣庁に提出された伊豆国府三宅島神社調べに依れば、御神体石祭神不明と神社籍から除かれ爾後同社は禰宜井上家に護持されて来た。 三宅島の子安宮創建の時代は文化文政の頃井上治五左ヱ門が八名の子女の夭折を悲しみ、社祠を建立し、祭礼を行って井上家の護持と村人の尊崇に依って護持されて来たものである。 子安宮の祭神は木花開耶姫命が奉祭されている。 子安宮は安産、子育、子孫繁栄の神で此の宮の俗名については、バンバ様とも呼ばれている。 三宅村 社頭掲示板 |