小さな社殿の前方に1m四方ほどの湧水がある。 この湧水を「美茂井の清水」と称している。清水は椎の老樹の根方から湧き出ている。 『三宅記』によると三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比当ス)は三宅島の丑寅(うしとら)の方にお住みになり、かまつけ(神着)という所で、一度に八人の王子達をお産みになつた。それらの御子たちは「ななはしら」と言うところで育てられ、やがてそれぞれに宮を作つて住まわせ給うたと傳えている。しかして、これらの王子たちの第七番目に誕生した御子を「かたすけ」と称し、これが当社の祭神となつた。 |
由緒 三島大明神の王子たちの第七番目に誕生した御子を「かたすけ」と称し、これが当社の祭神となつたという。 当社には社殿がない。椎の老樹の下に盛砂をしてあり、その上に御幣が一本刺してある。 御幣の後に、小さな石(溶岩カ)を二箇立てゝある。 この両側には、榊をさしてあり、村人はこの神に対して参拝を怠ることがないという。この小さな社(やしろ)のすぐ右に直径約二メートルほどの水たまりがあり、清水が湧出ている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
美茂井の清水 昔々、島々の神々が神津島に集まり会議をお開きになつた。「さて、島々へ水をどのやうに分配したらよろしかろう。」という重要な相談になつたが、利島の神様だけはその時になつてもお見えにならなかつた。さて、利島の神がお見えになつた時には、すでに水の分配の終つた後で、わづかに御椀の底が隙れるほどの水しか残つていなかつたのである。遅れたとはいえ、これではあまりにも薄情と、利島の神は激しくお怒りになり、「これつばかりの水などいるものか。」といつてその水を投げ捨てられた。ところが、その水は三宅島のカナスゲと云う所に落ちた。そこが美茂井のカナスゲ(カタスゲ)である。よつて、この地は今に至るまで清水が湧き出て、涸れることがないという。なほ、この故事により利島には今も清水がないという。 この美茂井の清水は現在も残つている。清水は椎の老樹の根方から湧き出ており、そこには「カサスゲ様」を祀つてある。 古老の談によれば、「カサスゲ様」は水の神で、傳説の通り、この清水はかつて涸れたことがないという。 |
カサスゲさま 三宅島観光ホテルの北西側の通路を約100m入り、そこから海側へと小道を下ると、海抜約40mのところ、二万五千分の一地形図にもあらわれている小さいV字谷の底に滲み出しがあり、そのほとりに高さ10mぐらいのシイの木4-5本の一叢があり、そこがカサスゲさまといわれている。 地主の井上隆三氏が、おいのりさんのすすめにより、一度売った土地の神域のごくせまい部分だけを買いもどし、少し深く掘り、掃除をしたということである。水たまりは、広さ1m50×2m(目測)深さ約50cm(落葉などがありよくはわからない)。垂直約1mの断面はスコリア質の土壌で、その下に溶岩などは見えない。 このV字形の谷の両側の尾根になっている部分には溶岩流があり、海岸では高さ約30m(目測)の海食崖となっている。これら溶岩流が流れた当時の尾根となっていた部分が、スコリア質であったため浸食でぬけてしまって、現在は深さ約2m50の南北方向の浅いV字谷となっており、水が寄り集り滲み出てきて、たまったものである。水たまりの東の角に、小さい板石を二枚たててサカキなどをあげ、カサスゲさまがまつってある。 この谷壁の右岸すなわち西向きの斜面は、幅約10m長さ約50mにわたってシイを主にした原生林が残っている。樹高は低く下生えは密である。滲み出しの前面北東側は、5m×4mぐらい(目測)にきりひろげられている。 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 森谷ひろみ |