石廊崎の最先端燈台の下の崖の窪みにある。石室山金剛院石廊崎権現ともいう。 始皇帝の5世の孫弓月王が仲哀天皇のとき創立。5世紀ごろ石室山金剛院として創立という。 神社の土台には千石船の帆柱が使われており、伊豆七不思議の一つとなっている。 |
石室神社の起源 石室神社の起源は詳らかではないが、5世紀ごろ石室山金剛院として建立されたのが最初だと言われている。 仁皇15代応神天皇14年に日本に帰化した秦の始皇帝の五世の孫弓月君の日本での功績に、朝廷大いに喜び給い物忌奈命の諡を贈った。 弓月君の子孫秦氏により当地に祀られたものである。 この後、役の行者が伊豆に廃流の際、十一面観世音菩薩の『先なる君の鎮まり給える処に共に祀れ、永代この地を守護するであろう。』との後託宣を受け現在の処に神仏合祀の石室権現を建立し号を『綺の権現』と奉称した。時に文武天皇大宝元年(701)で役の行者の奉納した棟札が残っている。 醍醐天皇の御代に完成した所謂延喜式の神名帳に登録されている式内社である。 社頭掲示板 |
石廊権現と千石船之由来 祭地は相模灘と遠洲灘の中間に位し東風西風共に筆舌に絶し又陰れし岩礁多く黒潮近くを走ると云ふ難所で在る 或る期播洲濱田港所属の塩運搬の千石船が此の岬に差掛りし時、折悪く黒雲海面をはい雨は篠を突き波浪は峰渓をなす船は最早轉覆有るのみと見られ船主船子共になす技も無く一心に見えぬ対岸の石廊権現に向いて無事江戸に着く事が出来得るならば帆船の命で在る帆柱を奉納すると誓願を込めるとさしも荒狂った波もやがて凪いで無事江戸に着く事が出来荷揚げを済し巨富を得て帰途に付く航海日和に恵まれ往路の出来事も忘れ此の岬の沖を過き様とした だが不思議な事に満帆に追風をはらみ全櫓充分に水をかくも船は一向に進まず坐礁した如くにてやがて次第に風雨強く狂暴なる暴風雨と急変し船子等の不安は往路の期に増して激しく船主は往路の期の願事に思いを致し木の葉の如く震る船上にて斧を以て、帆柱を切倒し海に投じ石廊権現に奉納されたすると不思議なる事に帆柱は荒れ狂う大波の波頭に乗って幾十丈の高き社殿の御前に供えた如く打上げしと同時に波も静まり船は櫓を以て走り去りしと傳えられて居り今直當社殿の基礎となりて此の建築物を支えて居り當社の御神威の高きと共に此の神技を伊豆の七不思議の代表的な神話として廣く風光名美さと共に日本全国に知られ居る 帆柱材質檜 長サ六間約12m 社頭掲示板 |
伊波例命神社 伊波例は假字也○祭神明か也O在所詳ならず 神社覈録 |