物忌奈命神社
ものいみなのみことじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】物忌奈命神社(名神大) 伊豆国 賀茂郡鎮座

   【現社名】物忌奈命神社
   【住所】東京都神津島村41
       北緯34度12分30秒,東経139度8分5秒
   【祭神】物忌奈命
   【例祭】8月1日 例祭
   【社格】旧府社
   【由緒】承和5年(838)7月5日夜上津島噴火
       承和7年(840)10月14日従五位下
       嘉祥3年(850)10月8日従五位上
       同年11月1日官社
       仁寿2年(852)正五位下
       明治11年9月1日府社
       昭和20年6月12日米軍の焼痍弾で神門焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「定大明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造
       拝殿・神饌殿・社務所

   【境内社】三島・八幡・春日・新宮・天満宮・津島・阿波島・唯根島

神津島港に隣接して鎮座する。
「神集め島」に置き給うた三島大明神の后を「長浜の御前」と申し、その御腹に「たゝない」「たふたい」の二王子が生れたと述べる。「長浜の御前」は即ち阿波神でり、長子の「たゝない」王子を物忌奈命(当社)にあて、次子の「たふたい」王子を本島字多幸鎭座の日向神社(旧無格社)奉齋神にあてている。
昭和20年8月8日波勝丸(40t)で物忌奈命神社および阿波命神社のご神体が疎開し、西多摩郡の御嶽神社に移された、戦後再び島へ戻ったという。


由緒

今按續日本後紀承和七年九月乙末伊豆ノ国言ス賀茂ノ郡有造作島本名上津島。此島坐阿波神ハ是三島大社本后也。又坐物忌奈命即前社御子神とあるを思うに物忌奈命は三島大社の本后にます阿波当スの御子神とみえたり。
式社考證に古き上梁文に長濱大明神輿奉申御神者當鎮守神集島定大明神御母神也とあるにも明かなるを思うべし。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



物忌奈命神社

村重宝(建造物) 物忌奈命神社
所在 神津島村1番地
指定 昭和45年1月10日
祭神物忌奈命は三島明神事代主命の嫡子で永浜神社に祀る阿波当スは御母である。天孫瓊瓊杵尊に出雲国を譲り、事代主命と共に東に下り、伊豆諸島の開祖として居を定められ、以来村民の心の支えとなっ てきた。
本殿は覆堂形式で中宮を内臓している。中宮は元本殿として文化7年(1810)に造営され、高さ5m余、入母屋造りの大建築で、棟から向拝にかけて美しく流れる曲線は、重厚な唐破風となって拝者を威圧する。御神体を内蔵する宮殿として尊厳性を備え、格調が高い。
各種の組物は功を尽し、殊に舞鶴の彫刻と唐破風の檜皮葺は妙技を極わめ、堂宮建築の技法が優れ貴重なものである。覆殿と拝殿もこれに準じて古く、重要な文化財である

社頭掲示板



文化財

重要無形民俗文化財(国指定)
神津島の神事かつお釣り - 平成11年12月21日指定。
神津島村指定有形文化財
本殿拝殿(建造物) - 昭和45年1月10日指定。


物忌奈命神社

伝説・水配神話とモニュメント
『その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神々が集まり会議をしました。一番大切な会議は、生命の源である「水」をどのように分配するかでしたが、言い分がさまざまで、なかなかまとまりません。そこで次の日の朝、先着順に分けることになりました。いよいよ朝になり、一番早く着いたのは御蔵島の神様でした。御蔵島は最も多くの配分を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。こうして水は次々と配られ、最後に利島の神様がやってきたときには水はほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われています。』
この神話は、神津島(神集島)の島名を由来すると共に、生命源である「水の配分」を通して、「地域づくりの道しるべ」を暗示するものと考えます。
このモニュメントが、未来に向けた島づくりの象徴となることを祈念するものである。

社頭掲示板



物忌奈命神社

嘉祥三年(850)官社に列せられ、明治11年に伊豆諸島が静岡県より東京都に所管替えとなった際、府社に列した。ご祭神の物忌奈命は事代主大神の長子であり母神である阿波命神社と共に現在の東京都に於いて式内名神大社は当地の二社のみである。

東京都神社庁



大鳥居の礎石

神社に使われている階段石は海側からの表参道、八十八段と裏賛同四十七段の階段石もふくめ、島の神津沢の上流から氏子の奉仕作業により、人力で運び出されたと伝えられています。
この大きな礎石も、その時、切り出された石で造られた物忌奈命神社の表参道入口にあったみごとな大烏居の一部で、平成12年7月1日発生の震度六弱の大地震の爪の後、まもなく台風の強風をうけ倒壊しました。
当時の、島の自然石で烏居まで造リ上げた島民の気迫が伺える証しです。
平成20年7月1日
神津島村教育委員会

社頭掲示板



物忌奈命神社

ものいみなのみことじんしや 東京都神津島村。つまり伊豆七島中の神津島に鎮座する。近世には定明神、今日の島民はただ明神さまと呼ぶ。旧府社。祭神は社名に示すごとく物忌奈命で、同島鎮座の阿波命神社に祀る阿波当スの御子神とされる。『続日本後紀』によれば、承和7年(840)両神ともに従五位下を受け、造嶋の霊験によるためとある。同紀のこの頃の記事から察するに、神津島に大規模な噴火活動があって、その現象は霊妙不可思議な神業として理解されていたようである。以後も神階昇叙の記録を伝え、『延喜式神名帳』では特に国幣の名神大社として登載された。例祭8月1、2日。2日の祭典終了後、境内において東京都無形民俗文化財指定の鰹釣り神事があって賑わう。また正月14日にはその年の漁場を決定する御籤祭、旧正月24日から三日間には全島民が厳重な物忌生活をする二五日様の神事がある。境内には、薬師殿が存し、神仏習合の形態を今に伝える。

神社辞典



物忌奈命神社

物忌奈は毛乃伊美那と訓べし〇祭神明か也○神集島に在す、今定大明神と称す、(志)例祭月日、○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、伊豆國物忌名命神社一座、○続日本後紀、承和7年9月乙未、伊豆國言、賀茂郡有造作島、本名上津島、此島坐阿波神、是三島大社本后也、又坐物忌奈乃命、即御前社御子神也、(事は阿波神社の下に見ゆ)
神位 官社、
続日本後紀、承和7年10月丙辰、奉授伊豆國無位吻忌奈乃命從五位下、以伊豆國造島霊験也、」文徳實録、嘉祥3年10月壬子、伊豆國物己奈乃神從五位上、同年11月甲戌朔、詔以物忌奈神列於官社、仁寿2年12月丙子、加伊豆國物忌寸奈命神正五位下、又齊衡元年6月己卯、加伊豆國物忌奈命神正五位下、(同位重出不審)

神社覈録



府社 物忌奈命神社

祭神 不詳
当社は一に定明神と云ひ、三島神の阿波盗_に御娶坐て生坐る子物忌奈命を祀るといふ、仁明天皇承和7年10月此神島を造り給ひし霊験あるの故を以て無位より從五位下を授けらる、文徳天皇嘉祥3年10月従五位上を加へ、同年11月官社に列り、齊衡元年6月正五位下に叙され、醍醐天皇延喜の制名神大社に列す(神祇志料神社覈録)蓋続日本後紀に「承和7年9月乙未。伊豆国言、賀茂郡有造作島、本名上津島此嶋坐阿波神、是三島大社本后也、又坐物忌奈乃命、即前社御子神也云々」とある是なり。其他詳かならすと雖古社なること著し、明治5年11月府社に定めらる。
社殿は本殿、拝殿を具へ、境内3125坪(官有地第一種)を有す、社域は島の西北にあり。

明治神社誌料






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