大正6年の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されている。 当社を多祁美加々命神社に比定する説がある。 |
八幡神社 初、王子社と称し、第三王子則ち多祁美加々命を祭ったのである。当社所蔵の石剣は、スレート製アイヌ系精製石棒の中央部で、長さ六寸一分扁平にして横断面はほぼ菱形をなし、最広部長径一寸三分・短径八部ある。その両面に、同式のシムメトリカルに配置されたる文様を陰刻せるは、注意すべきものである。なお一個完全な無頭石棒と三面の和鏡がある。 『南豆神祇誌』 |
下田八幡神社再建之碑 当下田八幡神社は正応年間(1288年頃)既に鎮座せりと伝う 縁起書によれば永正4年(1507年)建設になる社殿は享和2年(1802年)失火により焼失文化4年(1807年)再建さる 爾来百七十有余年に亘り下田の総鎮守として崇敬をあつむ 昭和58年(1983年)11月22日不慮の事故により出火全焼せり氏子崇敬者一同大いに恐懼奮起してその再建に当たる 昭和61年(1986年)8月10日旧にまさる権現造りの壮麗堅固なる社殿及び手水舎新築完成す このことは神社役員はもとより広く氏子崇敬者各位の奉賛による一大事業でありここにその名を刻し徳を後世に遺すものである 昭和61年8月吉日 下田八幡神社再建委員会 社頭石碑 |