黒根港の南、大三山のほぼ頂上に所在する。頂上まで何百段という石段を登る。 旧社地の「ぬとお山」は「能登ウ・能登雄・能登男」とも書き、新島の南部にある丹後山(283.4m)の西傾斜地、抗火石採堀場の向側にあつたといわれるが、正確な位置は現在不明である。 当社は何時の時代か詳らかでないが、「ぬとうお」という山に第三大明神(当社の弟神)と共に垂跡されたという。そして、その頃は御宮も無く、当社へ参拝することも禁じられていたという。 |
由緒 当島開拓の地主神にて、始め能登男山鎮座するを貞享3年現地に転社。享保6年社殿再興。明治8年再建。昭和50年社殿大改修。境内整備。神域広大。石段多数。風光絶佳。参拝者後を絶えない。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大三王子神社 大三王子神社の祭神は、事代主命の御子大三王子明神(多祁美加々命)である。 古く能登男山の西傾斜地に鎮座していたが、 貞享3年(1686)に現在地に転社した。その後、享保16年(1731)再興、さらに明治8年に社殿が改築された。 社殿に及ぶ四百数段の石段は、近傍随一であり、、社務所から本殿にいたる最後の石段は、土足で登らないことが慣習となっている。 境内からは本村の集落、前浜海岸、伊豆半島、式根島、神津島、そして能登男山方面と広角度に望むことができる。 神域には清流が流れ太鼓橋がかけられ、うっそうとした古木、神秘的で荘厳な境内は古社にふさわしい。 本社は、式内の名社として、また漁業の神として、近傍の崇敬と、島民の信仰を集めている。 社頭掲示板 |
伝説 大昔、近江の琵琶湖に住む漁夫の娘が大漁を祈って水神の生贄に差し出された。白鳩になって新島へ逃げたが、蛇になって追い詰めた水神に喰い殺された。怒った島の三島明神御子大三王子は剣を抜いて大蛇を切り殺して退治した。後、新島大三山に大三王子神社が建ち、退治に使った剣が納められ今も伝えられている。 豆州七島風土細覧 |