野間神社
のまじんじゃ 所在地 社名

















   【現社名】野間神社
   【住所】愛媛県今治市神宮699
       北緯34度3分3秒、東経132度57分26秒
   【祭神】飽速玉命 若彌尾命 須佐之男命 野間姫命
   【例祭】5月3日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】大宝元年(701)社殿創設
       天平神護2年(766)4月20日従五位下
       貞観3年(861)5月21日従四位下
       貞観8年(866)閏3月7日正四位下
       貞観12年(870)8月28日正四位上
       元慶5年(881)12月28日従三位
       天慶3年(940)2月1日正二位
       建長7年(1255)封戸田十四町余
       永享6年(1434)造営
       寛文元年(1661)造営
       享保5年(1720)9月社領拾四石六斗五合
       文化10年(1813)造営
       明治4年郷社
       明治28年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王宮」と称していた
   【社殿】本殿
       中殿・拝殿

   【境内社】
   【別当】乗禅寺(今治市延喜)

怒麻国造となった若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことに始まると考えられている。
神社の後方500mの山中に巨岩があり、石神(いしがみ)さんと呼称されて奥の院ともされる。
本殿の後方に、国指定重要文化財の宝筐印塔がある。


野間神社

神宮野間神社・宝筐印塔
(国指定重要文化財・昭和29年3月)
以前は下方の谷間にあったものを、現在の神社石手裏に安置したものと伝えられる。
鎌倉期の作であるが、九輪や宝珠は江戸時代の後補であるが、全体としては、大変重厚な安定感を与えている。
特に塔身の梵字は、金剛界四仏を鋭く薬研掘りしてあり、総高280cm余りである。
参考
●わら神輿(市指定文化財・昭和46年4月)
野間神社に伝わる年中行事で、10月中旬に行われる”わら神輿”は新しいわらで作ったもので、直径70cmくらいの丸い胴体で上部に鳳凰が羽をひろげた形のものをつけ榊が立てられる。少年たちがこれをかいて、各小部落を戸別に一巡し、野間神社に奉納する。この時、当元では甘酒をふるまう習慣があり、「甘酒まつり」と称せられている。甘酒は、祭神の須佐之男命の八岐大蛇退治の際の八しおりの酒にちなんだものだといわれる。この神輿はその日の夜、野間神社境内の相撲場でもやし、その明かりで子供相撲を奉納する。全国でも珍しい行事である。
●獅子舞
野間神社の境内で毎年5月10日の春祭りには、ユニークな伝統芸能「継獅子舞」が奉納され大勢の見物客でにぎわう。

社頭掲示板



野間神社

古来より神威霊験赫々、神社で延喜式内明神大社である。
 代々の河野家の崇敬が厚く、松山藩の雨乞いの祈願所であった。
 天平神護2年(766)に従五位下神戸二烟を充てられてから累進を重ね、天慶2年には正二位に上らせられた。又、野間総社であり、悪病除け、開運の神として信仰が厚い。

愛媛県神社庁



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