この地が式内姫坂神社の元の鎭座地とする説もある。 元明天皇の御代、国司越智玉純が、伊予九十四郷の一郷一社、三島宮を勧請したのがはじめ。 境内右の境内社に「姫坂社奉遷」の石標がある。 『愛媛県神社誌』によれば、明治41年(1908年)、境内社の姫坂神社を合祀。昭和21年(1946年)に元の社地へ復社。昭和44年(1969年)に再度合祀したという。 境内社はいくつかあるが、一般的に大己貴神社・山神社・秋山明神社とされ、姫坂神社は現在含まれない。やはり、本殿に合祀されているか。 |
三島神社 元明天皇の時、国司越智玉住純が伊予九十四郷に一郷一社の三島宮を勧請した、その一社であるという。一般に楠谷神社ともいわれており、明治12年村社に列格。 配神市杵島姫命の姫坂神社は明治41年境内神社として合祀し、昭和21年元の社地に奉遷したが、昭和44年再び当社に合祀した。 愛媛県神社庁 |