姫坂神社
ひめさかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】姫坂神社(名神大) 伊予国 越智郡鎮座

   【現社名】姫坂神社
   【住所】愛媛県今治市宮下町2-2
       北緯34度3分56秒、東経132度59分14秒
   【祭神】市杵島比売命
       屋船豊宇気姫神『神名帳考証』『伊予二名集』

   【例祭】5月10日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】創建は不詳
       延元・興国・正平中(1346-70)兵火で焼失
       明徳4年(1393)河野通能旧領に復
       貞享2年(1685)造営
       明和8年(1771)造営
       文化2年(1805)造営
       明治4年10月村社
       明治14年1月郷社
       大正7年11月県社
       昭和20年戦災で社殿全焼
       昭和43年復興

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧は四町ばかり南の田中に在
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「嚴島大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・社務所・神輿庫

   【境内社】青木神社・稲荷神社・大己貴神社

往昔は蒼社川支流の泉川左岸・姫宮の地(現 南日吉町)にあつたという。現在地への遷座年代は不詳である。
現在の祭神は近世に嚴島大明神とも称して宮島信仰の影響を受けたところの祭神名とも考えられ、当初からのものとは断定できない。
延喜式神名帳が越智郡を大3座小4座として当社を「名神大」と記すことについては疑義がもたれている。伊予国24座のうち大7座と記されるものの郡別大社数の合計は8座と1座多くなる。しかし、南海道全体の大社数29座に徴しても伊予国は大7座とならなければ全体数が合致しない。したがつて伊予国の大社とされる8座のうち1座が小社の誤記と思われる。また姫坂神のみが叙位にあつかつていないこともあり、延喜式神名帳の越智郡にかかる記載は、大2座小5座の誤記であり、姫坂神社は小社と判断するのが妥当であると考えられる。


姫坂神社

姫坂神社由緒 旧県社 式内大社
祭神 市杵島姫神
「姫の宮」と称えて、往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座したと伝えられ今から1080年前、醍醐天皇の延喜の制に式内大社に列格の栄光に浴し皇室より久しく特別の待遇に預かり国司・守護職、領主を始め庶民の信仰を集めた。
江戸時代今治藩の祈願所として雨乞い祈願の度ごとに藩主の参拝あり毎年ご蔵米の納献に預かったほどであったが、故あって6200坪に余る広大にして尊厳な千幾百年の歴史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移転されたのは今から二百数十年前のことである
  続伊豫温故録より 宮脇通赫著
姫坂神社 日吉村にあり 古歌
  ひめ坂に立る梢のいろいろに
    神のみそぎの錦なるらん
  享保8年9月9日 当国松山之住
            仙波半幽斎全敬伯
当神社は古来式内大社として、また日吉郷(旧今治市の全域)の一の宮として斎かれ、交通主護の神、開運の神、安産の神として広く信仰されている。
昭和58年 式年祭に際して建之

社頭掲示板



姫坂神社

大己貴神社 大山祇神社 山王神社
このお宮の中に三殿をお祀りし中央に大己貴神社、向って右側は大山祇神社、左側は山王神社で明治42年にここに合祀されました。
一、大己貴神社 一般に荒神様と親しみの言葉で呼んでいます。また大国主神、大黒様とも申します。元は宮ノ下、本村城台、新屋敷、八軒家、鯉池、今城、横畑の地区の守護神と七体のご神体が合祀されてあり毎年一度地区毎の氏子で大祭が行われ、お当祭りの神事も続いています。
殖産興業の神、農耕の神として信仰が篤い。
一、大山祇神社 向って右のご殿に、宮ノ下、八軒家の祭神が合祀してあります。
ご祭神は大山祇神、山神信仰により往古よりお祀りされました。
一、山王神社 山王権現社又は日吉山王社とも称し、泉川町から合祀されました。土地の守護神、地鎮の神様であります。

社頭掲示板



姫坂神社

青木神社由緒
祭神 少彦名神
神徳と沿革祭神 医学の神様として広く信仰されている少彦名神様は、太古各地を巡って医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救済なさった神徳の高い神様であります。
青木通り(現、北日吉町一丁目)は少彦名神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営された大そう古い神社であります。
江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神として祈願と感謝に奉納する草履は相当の数であったと伝えられています。
明治42年にここに遷座されましたが今も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近の町村からそのあとを断ちません。

社頭掲示板



姫坂神社

「姫の宮」と称えて大古から日吉の里、姫の宮(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、醍醐天皇の延喜の制に式内社列格の栄に浴し、皇室より久しく特別の待遇に預かり、国司・守護職・領主をはじめ庶民の信仰を集めた、また日吉郷(市制施行当時の今治市)の一の宮であった。
 江戸時代今治藩の祈願所として雨乞い祈願の度ごとに藩主の参拝があり、毎年御蔵米の献納に預かった程であったが、故あって6,200坪に余る広大にして尊厳なる千年を越える歴史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移転されたのは今から二百数十年前のことである。
 明治41年郷社に昇格、大正7年に県社に列格される。

愛媛県神社庁



姫坂神社

姫坂神社(ひめさかじんじゃ)
愛媛県今治市日吉。
旧県社。市杵嶋比売命を祀る。延喜の制名神大社に列する。式内社であることに異論はないが、名神大社に列するについては、なお考究を要する(『神舐志料』)。今治藩の祈願所として、また日古郷の総鎮守として篤い崇敬を受けた。例祭5月10日。

神社辞典



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