同一境内に2社並んで鎮座している。鳥居も2つあり、拝殿は長屋形式で2社連結している。その背後に本殿が2棟並んで鎮座している。 向かって左が周敷神社、右が藤原神社。 藤原神社は牛頭天皇社と称しており、応徳元年(1084)に、国安に勧請され、文永10年(1273)に現在地に遷座した。 周敷神社は宝暦3年(1752年)に国安村上に奉遷し、牛頭天皇社とも称した藤原神社と社地を並べ、再建された。 両社は当初、別々に祀られていたが、いつしか垣根をなくし、同一境内となった。 |
周敷藤原神社本殿修復 社務所新築記念碑 平成3年9月23日大型台風未襲のため両本殿檜皮葺損壊す 翌4年3月時の神社総代長 黒河俊治の先達により氏子総代 国安自治会役員の協力を以って氏子 620軒の敬神の総意を集して修復事業を発起 その献金募集の成果は目標額を突破し 同年8月完成続いて年来の懸案たりし社務所新築をも 平成5年7月を以て併せて完成を見たり 時あたかも 皇太子徳仁殿下 雅子妃殿下 6月9日ご成婚 重ねて伊勢神宮 10月御遷宮の嘉年に当たり 当神社の面目を一新し得たる事は氏子の誠心の致すところながら 一重に深き御神慮に依る所あり 依って茲にこれを称えて 子孫末代までの記念とする 飯尾宏骼 平成5年7月吉日 社頭掲示板 |
周敷神社藤原神社合殿 周敷神社は、延喜式内小社であって、もと桑村郡三社の一社であり、往古より国安、高田両村の氏神で両村の中央に鎮座のところ、水害の多いため宝暦3年に国安村上に奉遷し、藤原神社と社地を並べたが、後に区域を除き、一境内となる。 藤原神社は、應徳元年8月播磨国広峯より勧請、国安、高田両村の氏神として奉斎する。社領は、平家の時代に没収となり、文永10年3月国安村上に奉遷する。徳川幕府の崇敬篤く、紋幕、提灯等の寄進があった。 愛媛県神社庁 |