伊曽乃神社
いそのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊曽乃神社 (名神大) 伊予国 新居郡鎮座

   【現社名】伊曽乃神社
   【住所】愛媛県西条市中野甲1643
       北緯33度53分34秒、東経133度11分13秒
   【祭神】伊曽乃神
       はじめは1座で「伊曽乃神」といったとする。社伝および旧記によると、はじめの一座は天照大神の荒魂で、のちに武国凝別命を加えて2座となったとする。主神の天照大神は本殿内陣の正中に奉斎され、脇殿神の武国凝別命はその左に祀られている。

   【例祭】10月15-16日 例大祭
   【社格】旧国弊中社
   【由緒】成務天皇28年(158)創祀
       天平宝宇六年(7692)新羅遠征の為奉幣祈願
       天平神護元年(765)10月封戸10姻『新抄格勅符抄』
       天平神護3年(767)4月従四位下
       貞観8年(866)閏3月正四位下
       貞観12年(870)8月正四位上
       貞観13年(871)名神大社に列
       貞観17年(875)3月從三位
       承平4・5年(934.5)海賊追捕の祈願で奉幣
       天慶3年(940)2月正二位
       永保元年(1081)2月從一位
       永治元年(1141)7月正一位
       建仁元年(1201)神領三百六十町 社運隆盛
       応永19年(1412)沙彌道清が田地寄進
       文和3年(1354)足利尊氏天下静謹の祈祷を指示
       天文元年(1532)高外木城主石川伊豫守神田寄進
       天正13年(1585)7月小早川勢の進攻の兵火で焼失
       文禄4年(1595)水災のため流失
       慶長11年(1605)現在の地に造営
       寛文11年(1671)松平頼純神領を寄進
       元禄16年(1703)中野村等一八か村の氏子から田畑寄進
       享保12年(1727)田畑寄進
       享保20年(1735)造営
       明治初年県社
       昭和15年国幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初ほぼ現在の地に創建
        戦国期戦乱の為土佐国寺川村や楠木に仮殿遷座
        慶長11年(1605)現在の地に造営

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「磯大神宮」「磯野大明神」と称していた
   【公式HP】 伊曽乃神社
   【社殿】本殿神明造萱葺
       祝詞舎・拝殿・神門・祭器庫・齋館・迎賓館・社務所
       手水舎・文庫・神輿庫・神饌庫

   【境内社】瑞枝神社・近藤神社・明比神社・天皇神社・福原神社
        厳島神社宇賀命・三嶋神社・山之神社・天満宮・弥生之内神社・明日神社・荒神社


『イソ』は『イサ』の転託、『イサ』は神聖という意味をもつ、つまり伊曽乃は神野であつたという。神野に鎭座される神だから伊曽乃神社という。
景行天皇の皇子武国凝別命(当社主祭神)が、伊予の御村に封ぜられて御村別の祖となつたが、当社の創祀はこの頃から始まつていたらしい。


由緒

一、神紋…御所車
一、由緒…景行天皇の皇子、武国凝別命国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられると、皇祖天照皇大神を奉斎し庶民を愛撫し皇威を弘められた。命の御子孫は伊予三村別氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武国凝別命をあわせ祀った。これが当社の創祀である。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく外敵鎮圧、海賊追捕のたび毎に祈請があり、淳仁天皇の天平宝字6年(761年)すでに奉幣祈願のことがあり、称徳天皇は天平神護元年神戸十烟を、更に同2年五烟を奉り従四位下に叙せられたこれは、我国における神位奉授のはじめであった。延長5年(927年)の延喜式名神大社であり、つづいて永治元年(1141年)正一位に極位した。崇徳天皇御祈願と共に勅額を賜る。その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等たびたびであった。昭和15年国幣中社に列格され、昭和57年には浩宮様が御親拝された。
一、社殿…昭和15年御昇格に際し改築され従来の「入りトンボ造り」を近代化した茅葺白桧木の神明造りとなり、昭和46年に銅板葺に葺替えた。
一、境内地…16500坪(社叢には特異な植物が多い。)
一、宝物他…大倉粂馬翁の奉献になる伊曾乃文庫(国学、史書、古文書等約一万冊)並びに国の重要文化財「予州新居系図一巻」、西条祭絵巻、勅額その他。
一、西条駅より約3Km途中迄バスの便がある。瀬戸内バス西条〜今治間東光下車、1Km加茂行バス伊曾乃前下車500m。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




伊曽乃神社

御祭神
伊曽乃神(天照大神の荒魂・武国凝別命)神紋
御所車
由緒
第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
命の御子孫は伊予三村別氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。 奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされてその後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました 称徳天皇の御代には神戸10烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。
これはわが国における神杜奉授の始めであります 延喜式内の名神大杜であり、その後正一杜に極位致しました崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜りてその後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には、浩宮様(現皇太子殿下)も御親拝されました。
年中祭事
1月1日 歳旦祭
1月3日 元始祭
1月   成人祭一左義長神事
1月25日 初天神祭 筆供養
2月1日 厄除年賀大祈祷祭
2月11日 紀元祭
2月17日 祈年祭
4月3日 春季例祭
5月5日 菖蒲祭
6月15日 古神礼焼納祭
6月30日 大祓式
旧6月15日 夏越祭
10月14日 宵宮祭
10月15日 例大祭 出御祭 神幸祭
10月16日 御旅所祭 神幸祭 還御祭
10月17日 神嘗祭当日祭
11月3目 明治祭
11月15日 七五三祈請祭
11月23日 新嘗祭
12月13日 煤払い神事
12月15日 古神礼焼納祭
12月23日 天長祭
12月31目 大祓式一除夜祭
毎月1日 朔日祭
毎月15日 月次祭
年表
成務天皇28年(158) 創祀
淳仁天皇天平宝宇6年(762) 朝廷より新羅遠征の為奉幣祈願あり
称徳天皇 天平神護元年(765) 伊豫国で初めて神戸十烟を受く
称徳天皇 天平神護元年(765)称徳天皇 天平神護2年(766) 我国で初めての神階従4位下を叙せられ神戸5烟を加えられる
清知天皇貞観13年(871) 名神大社に列し新年新嘗の官祭にあづかる
醍醐夫皇延長5年(927) 延喜の制の名神大社
崇徳天皇永治元年(1141) 神格正1位に極位する。
後深尊天皐建長7年封戸田等六町六反国庁砥租を免ず
土御門天皇 建仁元年(1201) 神領三百六十町社運隆盛
後深草天皇 建長7年(1255) 封戸田等六町六反国庁田租を免ず
伏見天皇 正応年間(1290頃) 凝然(東大寺学僧)与州新居係図を作成する
正親町天皇 天正13年(1585) 秀吉の四国征伐により兵火に羅る
霊元天皇 寛文10年(1670) 西条松平頼純藩主社地を寄進。
昭和天皇 昭和15年(1940) 国幣中社に列格
昭和天皇 昭和27年(1952) 与州新居系図が国指定文化財となる
昭和天皇 昭和57年 (1982) 浩宮様親拝される
今上陛下 平成2年(1990年) 御昇格五十周年記念事業完成
春季例祭4月3日
桜花爛漫の4月3日に斎行されます。
当日は祭典中にお茶、謡の奉納に始まり、子供だんじりも境内に集合、子供相撲、のどじまん大会等、各種神賑行事に終日境内は賑わいます。
筆供養2月25日
2月25日に、お世話になった古い筆のご供養を伊曽乃天満宮の初夫神祭に併せて執り行われます。
荒川の獅子舞 2月3日
兼務祉の荒川八幡神社例大祭に毎年奉納されている獅子舞です、当社にては、毎年新嘗祭時に奉納されていましたが、平成12年より1月3日に奉納されます。
宝物館
国の重要文化財
与州新居系図一巻鎌倉時代中期
凝然大徳(示観国師)作
わが国三大古系図の一つ。古代より中世にかけて当地方に栄えた新居氏一族の系図。平安時代中期より鎌倉時代末期までの凡そ300年間、数百名の人名が書かれています。浩宮様(現皇太子殿下)も当社をご親拝なされ、ご研究の一環としてこの系図をご覧になられました。
墨梅画双幅
南宗揚補之作(約800年前の画人)
今から約300年ほど昔に、備中宝福寺の立巌恵久が、徳川光国公の弟松平頼元公より賜わり、郷里の氏神である当社へ奉納した品と伝えられ、当社に参詣した松平頼純公も激賞されました。慕末の混乱期に一旦紛失しましたが、大倉粂馬氏が昭和六年旧平戸藩主松浦詮氏の嗣子厚氏より墨梅双幅を譲り受け、当社に奉納したものです。
象形兜
旧西条藩主(第十代)松平頼英公
明治10年奉納
江戸後期の作で、頭形兜を内鉢に用い、和紙による一閑張り技法で象の頭を張懸けた変わり兜。江戸後期の日本絵画的な表現でありながら、写実的なところも感じられ、同時にユーモラスであり、具足師その他職人たちの技術を結集させた優品である。
例大祭西条まつり
だんじり・みこし約80台が奉納される。特に16日の、日の出から日の入りに江戸時代から連綿と今に伝わる壮観な時代絵巻である
伊曽乃大社祭礼絵巻作者不詳
江戸の天保時代前後、西条藩絵師によって画かれた絵巻と推定されており、当時の祭礼の様子が細部まで丁寧に描かれており西条まつり研究の根本史料とされている。

由緒書



伊曽乃神社

御祭神
伊曽乃神 【天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命】
由緒
第12代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現皇太子殿下)も御参拝されました。

公式HP



伊曽乃神社

伊曽乃神社(いそのじんじや) 愛媛県西条市中野日明。旧国幣中社(現、別表神社)。天照皇大神・武国凝別命を祀る。その主神天照大神とするが、なお考究を要する(「特選神名牒』)。景行天皇の皇子、武国凝別命が伊予に封じられ天照大神を奉斎。命の子係は、のちの新居系図に連なる伊予御村別氏(紀)として当地の郡司を世襲した。地方の名社で、天平宝字6年(762)すでに奉幣があり、天平神護元年(765)神封10戸を、同2年従四位下を授け神戸五烟を充て奉り貞観8年(866)正四位下に、同12年正四位上に、同17年従三位に叙され、延喜の制名神大社に列なり、天慶3年(940)には承平5年(935)の海賊につき宿祷あるによって正二位を授けられた。崇徳天皇御祈願とともに勅額を賜わり、のち建長7年(1255)の注進田文によれば免田三町四反を有した。当社は国家の宗祀として地方閉拓の祖神として、国司領主の崇敬篤く社地神田の寄進また社殿の造立がたびたびであった。社宝には与州新居糸図(凝然大徳筆、重文)・額面(伝崇徳天皇)、礒野宮・墨梅画双幅(南宋揚補之筆箱銘)、西条祭絵巻物(天保年間御抱え絵師作歟)がある。摂末社に御先神社・又野神社など10社があるが、御先神社は伊曽乃の神幸にあたり神霊小神輿に乗り、天孫降臨に則って奉仕の古例がある。又野神社は西条藩留守職の苛政を強訴した三義農が加茂川原で斬首され(宝暦2年(1753)6月)、藩公はその義心を慰祭したもの。例祭10月15、16日。西条だんじり祭として有名をはせ、「だんじり」「みこし」数十台の神賑は数百年の伝統を有し、16日の川渡しは勇壮である。15日は市内二十数ヵ所で神楽をあげ、16日は同十数ヵ所で神幸祭を執行。旧6月15日加茂川原で夏越祭がある。

神社辞典



伊予国INDEXへ        TOPページへ



順悠社