村山神社
むらやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】村山神社 (名神大) 伊予国 宇摩郡鎮座

   【現社名】村山神社
   【住所】愛媛県四国中央市土居町津根1865
       北緯33度57分37秒、東経133度27分17秒
   【祭神】天照皇大神 (配祀)齋明天皇 天智天皇
       大山積命『延喜式神名比保古』
       大己貴命『豫陽郡郷里諺集』『西條誌』
       武国凝別命『神名帳考証』
       天照皇太神、天児屋根命、天命開別命『明治四年の神社明細帳』

   【例祭】10月13日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】仁寿3年(852)6月預於名神(文徳実録)
       貞観9年(867)2月5日正五位下(三代実録)
       貞観12年(870)8月28日正五位上(三代実録)
       承暦4年(1100)6月10日天皇安穏で勅使奉幣
       天正の兵乱で社殿・社宝等焼失
       明治12年県社

   【関係氏族】凡直
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「村山大明神」「村山神宮」「村山大社」と称していた
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       幣殿・拝殿・神門

   【境内社】

村山神社の境内は、百済救援のために筑紫に向かった斉明天皇が滞在した娜大津の磐瀬行宮の跡だという。
斉明天皇の7年、天皇筑紫行幸の途次道後温泉に御入湯後3月25日中大兄皇子、大海皇子等を伴い御船を還えして娜の大津磐瀬の行宮に還行され地を長津と改められたと日本書記に誌されている。
社殿前に宝塚と呼ばれる小高い塚がある。斉明天皇が祭祀を執り行って神器を埋めた跡とも、高貴の方の御陵とも伝えられている。


村山神社

村山神社(延喜式内名神大社)
斉明天皇と天智天皇を祭神とするこの神社は、津根郷発祥の歴史とともに隆昌した県下屈指の式内大社です。
拝殿前のお宝塚は、斉明天皇百済救援の折の御陵所ともいわれています。
古来西国二十三か国の人々は、下参宮と称し、この村山神社に参詣することで、伊勢神宮の参拝に替えていたそうです。
また、ここにまつってある木像70余体は、斉明天皇近侍の生像といわれています。

社頭掲示板



村山神社

磐瀬の行宮とお宝塚
応神天皇の御代秦氏がこの地に栄え、続いて孝徳天皇の御代阿部小殿小鎌が常の里に派遣され砂金の採集に当った。その後斉明天皇の7年天皇筑紫行幸の途次道後温泉に御入湯後3月25日中大兄皇子、大海皇子等を伴い御船を還えして娜の大津磐瀬の行宮に還行され地を長津と改められたと日本書記に誌されており、お宝塚を中心とする村山神社神域が磐瀬の行宮遺蹟と拝察され、またお宝塚は高貴の方の御陵とも伝承されている。

社頭掲示板



村山神社

村山神社(むらやまじんじや)愛媛県宇摩郡土居町津根。旧県社。天照皇大神・斉明天皇・天智天皇・天児屋根命を祀る。天正13年(1585)の兵火により焼亡明瞭をかくが、創立は斉明天皇の当地御滞在のころにかかわるか。斉明・天智の二帝は白鳳3年(674)の鎮祭と伝えられる、木像74体を奉祀する。「木像は虫朽て弁すべからず。信に干載を経る者の如し」(『特選神名牒』)。仁寿3年(853)名神に預かり、貞観9年(867)正五位下を、同12年正五位上を加え、延喜の制、名神大社に列する。例祭10月15日。

神社辞典



村山神社

天照大神御鎮座は年代不詳。斎明天皇御鎮座は社伝記に詳らかで、天智天皇御鎮座は白鳳8年3月と言われております。木造70余体は斎明天皇近侍の生像と言われております。当社は天皇行幸の旧跡に鎮座されていると言われ、社前の堀の中に周囲10余丈の小高い丘があり、土地の人は、御宝塚と呼んでいます。延喜式の名神祭に預かり、大社285座の内村山神社伊豫の国とあります。宇摩の宋苗の神、一郡の鎮守として国守河野家の尊崇篤く、西条藩社ともなり、松平家の祈願所でもありました。

愛媛県神社庁



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