小野神社
おのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小野天大神之多初阿豆委居命神社 石見国 美濃郡鎮座
   【延喜式神名帳】菅野天財若子命神社 石見国 美濃郡鎮座

   【現社名】小野神社
   【住所】島根県益田市戸田町イ-858
       北緯34度40分11秒、東経131度44分8秒
   【祭神】小野天大神之多初阿豆委居命
       (配祀)日本武尊 応神天皇 神功皇后 比売大神 須佐之男命
       武内宿禰 少彦名神 彌都波能売神 金山彦神 倉稻魂神 猿田彦神
       宮比神 大年神 御年神 若年神 事代主神 綿津見神 大己貴神 天射若子神

   【例祭】4月17日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】寛平3年(891)鎮座
       昌泰2年(899)授位
       慶応4年(1868)小野神社を式内社と認定
       明治4年4月11日再興正遷宮を施行
       明治6年5月村社
       明治41年9月25日現在地に遷
       明治44年3月4日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとの鎮座地不詳
        明治41年9月25日現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「小野神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神樂殿

   【境内社】

中世社殿が腐朽荒廃したので、社人中嶋筑前方で祀られてきた。天保5年(1834)再輿が企図され、明治4年4月11日再興された。
明治41年9月25日神社整理にともない、社地狭少のため松霊山(現在地)にあった八幡宮へに村社八幡宮、村社菅野神社と大年山の大年神社を合祀した。
村社菅野神社は式内菅野天財若子命神社に比定されるがもとの鎮座地不詳。(一説に元の鎮座地は、宮田であったという。)


由緒

本社は小野村大字戸田字小野山に鎮座宇多天皇の御宇寛平3年勧請慶應4辰年5月6日式内神社たるにつき津和野藩主亀井茲監公より大宮司を置かれ祭典料を供進せらる。
明治4年3月15日藩主より本殿及び神楽殿御再建藩臣后阿正多良福羽美静をして其の任に当たらしめ同年8月藩主より八ッ花形の御神体及び四つ目御紋幕の御奉納あり時に八庄屋20ヶ村2000有全戸の崇敬神社たり。
明治5年10月浜田県知事佐藤氏大屬高島氏参拝幣帛を供せられ明治6年5月に村社に列せらる。
然るに本社は境内地狭益なるを以て明治39年12月29日同村大字同所松雲山元村社八幡宮境内地へ移転し其の建物全部使用の件出願自40年3月2日許可を得て同41年9月25日移転を行う明治44年3月4日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和50年4月吉日1200年式年大祭を奉祝す。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



小野神社

小野神社(村社)
通称 八幡様
鎮在地 益田市大字戸田街857
旧地名 美濃郡小野村大字戸田字松雲山イ857
主祭神 小野天大神 多阿豆委居命
神紋 四つ目菱形
祭日 例大祭 4月10日 祈年祭3月2日
新嘗祭 11月25日
由緒沿革
石見国抄に「人皇第59代宇多天皇の御宇寛平3年(鎮座上る」ど記載あり
○延喜元年延喜格制定小野社記載有り
○小野郷はその昔小野族と柿本族が開いた古代文化の発祥の地である。小野は春日族の支族で遠く大和国からこの地に移住し開拓した。
小野の地名はその族名に由来し小野神社はその始祖を奉斎したのである。
・享保8年10月及び天保6年4月再建
・慶応4年5月6日式内社であることにより津和野藩主亀井茲監は大宮司を置き祭典料を下された。明治4年8月藩主より八ツ花形の御神体及び四つ目菱形の御紋幕の御奉納あり。時に八庄居地下の24四村2280戸の総鎮守社として崇敬された。
明治6年5月村社に列せらる。明治40年神社整理令により、村社八幡宮、式内管野社、大年社を合祀して戸田松雲山の現在地に明治41年9月25日移転遷座された。明治44年3月4日に神饌幣帛料供進神社に指定せらる。拝殿及び粟島社殿。昭和49年新改築 1200年大祭 昭和50年4月奉祝

社頭掲示板



小野神社

小野族心の拠りどころ
古代大和から春日族の流れをくむ小野族がこの地に移住し、宇多天皇の891年に鎮座した。格式ある延喜式内社で、祭神には小野天大神之多初阿豆委居命ほか13柱が合祀されている。
参道の右手にはマンサク科いすの木(樹齢190年、幹回り2m、樹高20m)があり、当地では「ひょんぐり」と呼び親しまれている。
ひとまろの里小野ボランティア会

社頭掲示板



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