櫛代賀姫神社
くしろかひめじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】櫛代賀姫命神社 石見国 美濃郡鎮座

   【現社名】櫛代賀姫神社
   【住所】島根県益田市久城町963
       北緯34度42分5秒、東経131度50分24秒
   【祭神】櫛代賀姫命 (配祀)応神天皇
   【例祭】9月14-15日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】天平9年(737)9月社殿建造
       大同元年(806)観察使藤原緒継が霊夢により現在地へ遷
       承和7年(840)8月新たに勧請し再建
       萬寿3年(1026)5月高波によつて海底に没
       天正12年(1584)益田越中守全昌社殿造営
       天正20年(1592)正月越中守元祥社領寄進
       文政7年(1824)8月本殿屋根銅板葺替
       明治5年村社
       大正8年3月6日郷社
       昭和12年3月20日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古大浜大谷浦に鎮座
        大同元年(806)観察使藤原緒継が霊夢により現在地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「浜八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流
       幣殿・拝殿.神饌所・神樂殿

   【境内社】大元神社・祖霊社
   【別当】真如坊

往古大浜大谷浦に鎮座されていたという。この浦に女島・男島・中身島という島があつて、神代にこの島へ天降りしたと伝わっている。この島は浜辺より10間ばかりの海中にある。
中古応神天皇を合祭してから「浜八幡宮」「浜八幡」と称した。


由緒

祭神は櫛代族の祖神にして天平5年丑5月管長の命により社殿建立、大同元年石見観察使、藤原緒継が鎌手大浜浦より現在地久城明星山に御遷座、人皇第54代仁明天皇の承和7年申8月再建爾来延喜式所載の神社として朝野の尊崇深く、殊に益田氏七尾城入城後は崇敬厚く、人皇第106代正親天皇の天正12年甲申益田越中守全昌公社殿を再建し社領十二石を奉納せらる。
其の後も社殿の造修築数度ならず、人皇第120代仁孝天皇の御代文政6年石見国二十一個村の総氏子により本殿其の他の大修築をなし益田地方及美濃郡、鹿足郡に渉る総氏神として尊崇競られる。
大正8年3月6日旧郷社昭和12年旧県社となる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



櫛代賀姫神社

石見式内 櫛代賀姫神社由緒
祭神 櫛代賀姫命 応神天皇(2柱)
祭日 例大祭 9月15日
       祈年祭・夏祭・新嘗祭・大元祭 外
由緒
祭神はこの地方を開拓した櫛代族の祖神として、天平5年(733)丑5月官長の命により創建、大同元年(806)石見観察使藤原緒継が鎌手大浜浦より現在地久城明星山に御遷座、承和7年再建、爾来延喜式所載神社として崇敬せられ七尾城主益田家より社領12石をも受け、益田、美濃郡、鹿足郡に渉総氏神、縫針の祖神として広く崇敬せらる。
大正8年3月6日旧郷社
昭和20年3月20日旧県社
昭和50年7月1日特別指定神社
特殊神事
角力神事 針拾神事 獅子舞神事 ( この神事は十五日神幸祭に行う )
石見神楽舞、前夜祭に久城神楽社中奉仕

社頭石碑



持三郎の神話

応安よりさか上った昔、匹見澄川持三郎の、匹見河岸の岩上に、八幡神を祀った小祠があった。ある年の大洪水に、神社は奔流に押し流され、御神体は日本海上を漂って、益田鎌手地区の大谷・大浜両村の境に漂着した。そして、これを発見した両浦の漁民は、お互いに神体の奪い合いをしたが、和談の結果久城の櫛代賀姫神社の境内に奉斎した。何しろ、武家の鼻息が強い、当時のこととて、その後従来の賀姫神社は、次第に影を薄くし、武神たる八幡宮が、勢力を進展したのである。なおこの神社の習俗として、相撲の儀があるのは、御神体を発見した際に、大谷・大浜両浦の漁夫が、互いに組み合って演じた、喧嘩のな残名りを示すものであり、針拾いの神事は、御神体を三田瀬で拾った時、匹見のものがその場に立ちあったが、たまたま所持した針を失ったので、これを探し求めた故事が、習俗として神社に残されたものである。明治維新後櫛代賀姫神社は、再び頭をもたげて、さしもの八幡宮は、反対に影をひそめた。今日持三郎の河岸にある岩は、ただ昔物語を伝えるだけで、何もあとが遺っていない。

匹見町史



櫛代賀姫神社本殿

櫛代賀姫神社は、奈良時代の天平5 ( 733 ) 年に大浜浦に創建されました。
その後、久城の御継浜 ( おつぐはま ) へ移り、さらに万寿3 ( 1026 ) 年の大津波で社殿が流失したため、現在地の明星山に移転建立されたと伝えられています。
平安時代の延長5 ( 927 ) 年に編纂された延喜式神名帳にその名がみえる式内社の一つで、中世のはじめに上府 ( かみこう ) 八幡宮 ( 浜田市 ) から浜八幡宮が勧請されると、武運の神として信仰を集め、益田氏も手厚く保護しました。
現在の本殿 ( 三間社流造銅板葺 ) は、棟札によって明和2 ( 1765 ) 年の建立とされますが、向拝組物などの一部に益田藤兼・元祥 ( もとよし ) 公による天正12( 1548 ) 年の再建時の古材を残しています。
当地方の神社本殿の特徴を示し、国土の歴史的景観に寄与している建造物として平成25年6月21日に国登録有形文化財に登録されました。
益田市教育委員会文化財課

社頭掲示板



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