古来より境内の弁天池の背後にある注連岩(しめいわ)を石神とした磐座信仰の形式で祀られている。 社殿の右手は高さ数丈に及ぶ屹立した安禄岩の大磐石で、下に池がある。 染羽の地を開いた春日族が、石神(いわがみ)として祀った事に始まるといわれている。 |
染羽天石勝神社本殿 国指定重要文化財 染羽天石勝神社本殿 指定 昭和4年4月6日 染羽天石勝神社は、社殿の東側、弁天池の背後にある注連岩を石神とした自然崇拝を起源とし、神亀2年(725)に天石勝命を祭神として創建されました。 『延喜式』に美濃郡五座のひとつとしてその名がみえ、後に滝蔵権現と呼ばれるようになりました。承平元年(931)に社殿西側の高台に別当寺の勝達寺を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展しました。明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃寺となり、神社も名を染羽天石勝神社と改めました。なお、勝達寺の本尊であった不動明王坐像は鎌倉の極楽寺に現存し、国の重要文化財に指定されています。 本殿は、天正9年(1581)に火災で焼失しましたが、益田藤兼・元祥親子により再建されました。その後、江戸時代に修理され、昭和12年に解体修理、昭和39年及び平成10年・11年に屋根の葺き替え工事が行われています。 本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎の前に奥行一間の吹放し板張りの庇床を設け、両側のみに高欄付きの縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。 本殿の特異な平面構成と装飾彫刻の蟇股や手挟に見られる桃山時代の特色から、昭和4年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い、改めて重要文化財に指定されました。 平成18年12月 益田市教育委員会 社頭掲示板 |
染羽天石勝神社本殿 国指定重要文化財 染羽天石勝神社本殿 指定 昭和4年4月6日 式内社である石勝神社は御朱印地を持った神社として有名で、祭神は天石勝命である。社伝によると神亀2年(725)に創建され、瀧蔵権現と称して、承平元年(931)には別当寺勝達寺を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展した。しかし、明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃絶となり瀧蔵権現は社名を染羽天石勝神社に改めた。本殿は三間社流造で、両側の縁のみに高覧が付くという重要文化財指定の建造物では唯一の特徴を持つ。 棟札の写しによると、天正9年(1581)に本殿が焼失したため、益田元祥が大檀那、父藤兼が後見となって再建された。このように、本殿の特異な平面構成と蟇股や手挟にみられる桃山時代の特色から貴重な建造物として昭和4年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い改めて重要文化財に指定された。 社頭掲示板 |