染羽天石勝神社
そめはあめのいわかつじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】染羽天石勝神社 石見国 美濃郡鎮座

   【現社名】染羽天石勝神社
   【住所】島根県益田市染羽町1-60
       北緯34度40分49秒、東経131度51分39秒
   【祭神】天石勝命
       (配祀)伊弉諾神 伊弉册神 天照大神 国常立神 事解男神
       速玉男神 忍穗耳神 瓊瓊杵神 彦火火出耳神 葺不合神
       軻遇突智神 埴安姫神

   【例祭】4月2日 例祭 10月16日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】神亀2年(725)紀伊国熊野権現を勧請合祀
       承平元年(913)別当寺勝達寺を社殿西方の高台に建
       天正9年(1581)に火災で焼失
       天正11年(1583)10月造営
       寛文5年(1665)7月11日社領寄進
       明治8年郷社
       昭和7年11月7日県社

   【関係氏族】春日族
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】本来は大岩を祀る
   【祭祀】江戸時代は「瀧藏権現」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       神門・神樂殿・社務所

   【境内社】嚴嶋社・大元神社

古来より境内の弁天池の背後にある注連岩(しめいわ)を石神とした磐座信仰の形式で祀られている。
社殿の右手は高さ数丈に及ぶ屹立した安禄岩の大磐石で、下に池がある。
染羽の地を開いた春日族が、石神(いわがみ)として祀った事に始まるといわれている。


染羽天石勝神社本殿

国指定重要文化財
染羽天石勝神社本殿
指定 昭和4年4月6日
染羽天石勝神社は、社殿の東側、弁天池の背後にある注連岩を石神とした自然崇拝を起源とし、神亀2年(725)に天石勝命を祭神として創建されました。
『延喜式』に美濃郡五座のひとつとしてその名がみえ、後に滝蔵権現と呼ばれるようになりました。承平元年(931)に社殿西側の高台に別当寺の勝達寺を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展しました。明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃寺となり、神社も名を染羽天石勝神社と改めました。なお、勝達寺の本尊であった不動明王坐像は鎌倉の極楽寺に現存し、国の重要文化財に指定されています。
本殿は、天正9年(1581)に火災で焼失しましたが、益田藤兼・元祥親子により再建されました。その後、江戸時代に修理され、昭和12年に解体修理、昭和39年及び平成10年・11年に屋根の葺き替え工事が行われています。
本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎の前に奥行一間の吹放し板張りの庇床を設け、両側のみに高欄付きの縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。
本殿の特異な平面構成と装飾彫刻の蟇股や手挟に見られる桃山時代の特色から、昭和4年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い、改めて重要文化財に指定されました。
平成18年12月
益田市教育委員会

社頭掲示板



染羽天石勝神社本殿

国指定重要文化財
染羽天石勝神社本殿
指定 昭和4年4月6日
式内社である石勝神社は御朱印地を持った神社として有名で、祭神は天石勝命である。社伝によると神亀2年(725)に創建され、瀧蔵権現と称して、承平元年(931)には別当寺勝達寺を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展した。しかし、明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃絶となり瀧蔵権現は社名を染羽天石勝神社に改めた。本殿は三間社流造で、両側の縁のみに高覧が付くという重要文化財指定の建造物では唯一の特徴を持つ。
棟札の写しによると、天正9年(1581)に本殿が焼失したため、益田元祥が大檀那、父藤兼が後見となって再建された。このように、本殿の特異な平面構成と蟇股や手挟にみられる桃山時代の特色から貴重な建造物として昭和4年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い改めて重要文化財に指定された。

社頭掲示板



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