所在地の名を佐比売山と称するのは、佐は狭土・狭霧・小夜などのごとく接頭語で、要するに姫山ということである。この山に金山彦命のほかに金仙姫命・埴山姫命・木花咲耶姫命三柱の姫神が鎮座するであるという。 佐比売山は近郷第一の高山で、眺望絶佳、比礼振嶺・石見小富士ともいう。標高358m、山容秀麗で高く聳え立つているため、これを神として齋き祀つたものと考えられる。伝説によれば、太古大古佐姫命という神が五穀の種をもつて高天原から赤い雁に乗り心安国へ旅立たれたが、諸所をめぐつたのちこの山に降り、ここを宮どころとして、持ち来たつた五穀の種を、赤雁の背に乗り大空から千振りに振り播いて蒼生に日々の糧を恵み、草賊を追放つて心安国を開拓されたという。 石見銀山(大田市)にある佐毘売山神社は当社の分社である。 |
由緒 参拝のしおり 当社は上古比礼振山の山頂に鎮座ありて金山姫・埴山姫・木花咲那姫の三柱の姫神を祭る姫山神社がそもそもの始である然に寛平5年(893)美濃郡(岐阜県)中山南宮神社より金山彦命を遷して、正殿に金山彦命・金山姫命を祭り相殿に大山祇命・埴山姫命木花咲那姫命を祭りて是より五社大権現と申し奉るなり延喜2年(902)授位四位当地最古の延喜式内社である。 更に貞和4年(1348)雨乞せし時大和の国吉野山より闇霞神広國押武金日天皇(安閑天皇)を遷し別殿に祭り蔵王権現と称するに至れり、下りて文安3年(1446)山の中央に更に萬治3年(1660)現在地に遷し明治3年佐毘賣山神社と改称し同5年神殿拝殿共に改築し現在に至る。 祭神木花咲那姫命は山の神大山祇命の姫御子として3月3日内裏雛であり我国御内裏の始なり又康暦2年(1380)には迩摩郡大森銀山へ守護神として金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり。 益田越中守も代々厚く当社を信仰され中古より此の地は益田より都茂に至る街道として人馬の往来も多く権現様として人々の信仰厚く諸人の広く知るところである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐毘売山神社 佐毘売山神社由緒 当社は、上古、比礼振山の山頂に鎮座ありて、金山姫、埴山姫、木花咲耶姫の三柱の姫神を祭る姫山神社がそもそもの始りである。 然るに寛平5年(893)美濃の国(岐阜県)中山南宮神社より金山彦命を遷して、正殿に金山彦命、金山姫命を祭り、相殿に大山祇命、埴山姫命、木花咲耶姫命を祭りて、是に依り五社大権現と申し奉るなり。 延喜2年(902)授位正四位当地方最古の延喜式内社である。 更に貞和4年(1348)雨乞せし時、大和国吉野山より闇おか神、広国押武金日天皇(安閑天皇)を遷し、別殿に祭りて蔵王権現と称するに至れり。 下りて、文安3年(1446)山の中央に、更に萬治3年(1660)現在地に移して明治2年佐毘売山神社と改称す。同5年神殿拝殿共に改築して現在に至る。 祭神木花咲耶姫命は山の神大山祇命の乙姫御子にして、3月3日の内裏雛であり、我が国御内裏の始なり。 又、康暦2年(1380)には迩摩郡大森銀山へ守護神として、金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり。 益田越中守も代々厚く当社を信仰された。中古より此の地は益田より都茂に至る街道にして人馬の往来も多く権現様として、人々の信仰あつく、あらゆる起誓、祈願に霊験顕かである事諸人の広く知るところである。 深くこの神を信仰すれば 家内円満 家業繁昌 善男善女 息災延命 金山銀山海上安全等 諸成就を守り給ふべし 右神社由緒録より謹書 佐昆売山神社社務所 社頭掲示板 |