第8代孝元天皇の御代に鎮座したと伝わる。 明治44年、もと鎮座した御山から現在地に遷座した。現在も当社の奥の院として、当社旧称の石塔寺権現が祀られている。 |
由緒 特別神社豊田神社由緒概略 御祭神天津大神多祗阿久豆魂命外24柱。 天津大神多祗阿久豆魂命は神皇霊尊の御子で第八代孝元天皇の御代(皇紀485年)に御鎮座と伝えられ霊験まことにあらたかであったが何時の頃からか神威荒振る神となられたので皇紀1695年三井寺の座主明尊僧正此地に下向して9ヶの壷に酒を入れ祭器と共に地中に封じ奉りました。其の後領主豊田致親は皇紀1919年神宮寺を建て育王山石塔寺大権現と尊号を改め崇め奉りました。 それから約400年の後世の中は乱れ国民の苦しみがひどくなつた皇紀2366年時の神主山根権太夫晴栄は霊夢に「世に出て氏子の守りとなるべし」との御告げを受け領主亀井茲親に言上し命を受けて御神体と9ヶの壷を掘り出しお祭り申し上げました。 明治3年豊田神社と改名になり明治7年郷社に定められましたが明治44年御山から現在地に移されました。 さらに大正元年大境の剣霊神社、上野の天満宮が合祀され又昭和50年には特別神社に指定されました。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
豊田神社 特別神社 豊田神社由緒概略 御祭神 天津大神多祀阿久豆魂命 ( あまつおおかみたけあくつだまのみこと ) 外二十四柱 天津大神多祀阿久豆魂命は神皇産霊尊の御子で、第八代孝元天皇の御代(皇紀485年)に御鎮座と伝えられ、霊験まことにあらたかであったが、いつの頃からか神威荒振れる神となられたので、皇紀1695年三井寺の座主明尊僧正此の地に下向して、九ケの壺に酒を入れ、祭器と共に地中に封じ奉りました。 それから約400年の後、世の中は乱れ国民の苦しみがひどくなった皇紀2366年、時の神主山根権太夫晴栄は悪夢に 「 世に出て氏子の守りとなるべし 」 との御告げを受け、領主亀井茲親に言上、命を受けて御神体と九ケの壺を掘り出し御祭り申し上げてきました。 明治3年、豊田神社に改名になり、明治7年、郷社に定められましたが、明治44年御山から現在地に移されました。 さらに大正元年大境の剣王神社、上野の天満宮が合祀されました。 また、昭和55年には特別神社に指定されました。 社頭掲示板 |