延喜元年(901)4月8日、阿須那の里四多原の中津清地に齋き奉るとある。 阿須那の賀茂神社の相殿として古くから大原神が祭られていた。 本来、大原神社として祀られていたが京都上賀茂の社領となり、賀茂神が中心となっていった。 賀茂神社由緒に国津神とあり、この大原神社を指すのではないか、との指摘がある。 |
賀茂神社 賀茂神社の文化財 板絵著色神馬図 二面 国指定重要文化財 絵画(県立博物館寄託) 永禄12年(1569)に大宅朝臣(高橋)就光が祈願成就のお礼と天下太平等の祈願を込めて奉納した白馬(連銭葦毛)と黒馬による一対の絵馬です。 絵師が狩野治部少輔(秀頼)であること。歴史的資料としてはつきりとした伝世品であること。絵画として活き活きとしてすばらしいこと。 保存状態が良好であることから、昭和52年に国の文化財に指定されました。 狩野秀頼は、狩野波二代目元信の子あるいは孫とされ、高雄観楓図屏風(国宝)を描いた絵師です。作品や記録の少ない秀頼について製作年代の判る貴重な作例としても評価されています。 狛犬 二対 町指定有形文化財 彫刻 狛犬とは神社に奉納、設置された空想上の守護獣像で、阿吽の形になつているのは日本独特の形式です。 阿吽二対の木彫狛犬で吽形の二体には角があります。作者等不明ですが室町時代中期以前に制作されたものと考えられており、鎌倉彫刻の影響を残す優れた作品といわれています。 四体ともに直毛のたてがみが頭から肩に沿って流れ、背骨と肋骨は葉脈のような印象を受ける表現となっています。 三十六歌仙 三種四十九枚 町指定有形文化財 絵画 絵馬とは、神願や感謝のために社寺に奉納する、様々な絵を描いた額で、三十六歌仙もその一つです。 この絵馬は大中小の三種頬あり筆者はともに不明ですが、いずれも江戸時代の製作と考えられます。三種のうち中型二枚は、元禄10年(1697)に村里繁栄を祈願して戸河内の松尾山八幡宮に奉納されたもので、明治42年(1909)の合祀の際、賀茂神社に移されたものと考えられます。 棟札(置札) 三枚 町指定有形文化財 古文書 棟札とは建築について記録した板で、通常は棟木に打ちつけるものです。置札は建築と直接関係のないものですが、持別な事業・行事を記録した板です。 ◇「拳再興賀茂大明神社一宇 天文拾九年」一枚 天文19年(1550)9月、大江(毛利)隆元と口羽通良が賀茂神社を再建した際の棟札です。時に隆元27歳、通良38歳です。 ◇「奉建立天神宮 御宝殿一宇 弘治四年」一枚 弘治4年(永禄元年 1558)4月、口羽通良が天神宮(天満宮)を建立した際の棟札です。時に通良46歳です。 ◇「奉所願成就 八蓮一本大宅朝臣 元亀四年」一枚 享禄3年(1530)頃、毛利元就が滅ぼした高橋(大宅)氏について、口羽通良が元亀4年(天正元年 1573)1月、大宅(高橋)氏一統鎮祭の八注連神楽を奉納した際の置札です。時に通良61歳です。 三枚とも神社の由来や大宅(高橋)氏と大江(毛利・口羽)氏との関係を知る上でたいへん貴重なものです。 邑南町教育委員会 社頭掲示板 |