神社の後奥山村に天津城と云う所があり、其所を神止ともいう。この地は祭神が天降したと伝わる地で白鳳4年(675)9月創祀という。 古来本座大明神と称され、石見三宮と云われた。 |
由緒 天津神社縁起(バンフレツト) 当神社は古来石見三宮として尊祟された延喜式神明帳に登載されている神社であって、天武天皇(第40代)御宇 白鳳乙亥4暦(西暦675)9月吾郷の地天津越の麓二尾山に創立、その後(年暦不祥)現今の地に移転す。 清和天皇(第50代)貞観九亥(西暦867)6月には『正1位本座大明神』の御神號を勅許せられ、後柏原天皇(第103代)大永5天乙酉(西暦1525)6月には、地頭三善元親、清繁、元定の3人が勅額を受て奉納している。 国の『重要無形民俗文化財』である大元神楽の記録で最古のものは、当神社に保管されている後水尾天皇(第107代)元和元乙夘(西暦1615)8月記載の「大元舞熟書之事」である。 往昔は、宏壯森厳にして鳥居も3基あったという。今尚昔の鳥居の踏石が畑の中に残ってていると言われている。 吾郷村、乙原村、志君村、簗瀬村、明塚村、野井村、高山村の7カ村の産土神あったが、明治7年郷社に列せられ、邑智105カ社村の宗社として吾郷村天津神社と矢上村諏訪神社の2社が定められ、53カ村(現在の川本町、邑智町、大和村、大田市祖式、赤来町谷)が当神社に所属した。 御祭礼には、流鏑馬の神事、雄建び、シャギリの行事があったが、現在は子供達の奏でるシャギリの行事以外は行われていない。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
天津神社 天武天皇(第40代)の時代の白鳳乙亥4暦(西暦675年)に吾郷の地天津越えの麓二尾山に創立、その後(年歴不詳)現今の地に移転しました。 貞観9亥(西暦867年)に「正一位本座大明神」の御神号を勅許せられ、文永8年に再建しました。大永5天乙酉(西暦1525年)には、地頭三善元親、同清繁、同元定の3人が勅額を受けて奉納しています。 美郷町観光協会 |