大歳神社
おおとしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大歳神社 石見国 那賀郡鎮座

   【現社名】大歳神社
   【住所】島根県浜田市元浜町222-2
       北緯34度53分44秒、東経132度4分7秒
   【祭神】大年神 (配祀)倉稻魂神
   【例祭】10月第2日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】神亀2年(725)6月1日大歳神社を伊勢より遷
       貞観13年(871)4月3日従五位上
       寛仁4年(1020)中納言常方両面御宝鏡を寄進
       明治39年4月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・神楽殿

   【境内社】住吉神社・風日宮恵美須神社・稲荷社

伊勢神宮伊雑宮大歳社の大年神を、神亀2年6月に奉遷と伝。
後一条天皇の御代寛仁4年中納言常方石見国へ巡察の時、両面御宝鏡を寄進せられた。
古くから宮座の制度があり、新しく船頭に就任するものは誓盃を受ける儀式があったという。この祭りを「オサンペー祭」と呼ぶ。


由緒

社伝によると当社は、聖武天皇の御代神亀2年6月朔日。伊勢国伊雑宮大歳社勧請した。清和天皇の御代貞観13年4月神階従五位上に列せられた。
後一条天皇の御代寛仁年4年中納言常方石見国へ巡察の時、両面御宝鏡を寄進せられた。小石見34座の内式内社と伝承されている。島根県告示第326号をもって明治39年4月勅令96号に依り神饌幣帛料を供進することを得べき神社に指定せられた。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



大歳神社


「濱田港」とは懐かしき名なり、予が小學時代と独學時代との記臆はすべて濱田にあり、粟島下の水泳に危く溺れ死せんとせし少年の想ひ出は、あはれ三十年の昔かな、瀬戸ケ島の翠烟今も当時のまゝなりや、一丁田の丘に狐の火を見ながら、片側町のタ暮に淋しくたゝずみし日の事も、夢の如く我が胸に残れり、
山陰の最低邊たる石見國は、土痩せて、人の心また石の如く堅きが多けれど、古は歌聖人麿と画聖雪舟とに万代不滅の足跡を遺させたり、陰陽山脈の瞼しき蔭には、近世文明の波に洗はれざる上古素朴の風尚残り、北海の岸には到るところ天縦の奇景を有す、大正3年の今日、鉄道未だ此の國に入らざれども、何人かあつて、此の國を天下に推薦するものあらば、日本に一名区を加心ると共に、予等郷当の喜びいかばかりそや、
濱田港は石見の首都として山陰道の最低邊に点せられたる眼目なり、此の町の前途に必ず繁栄あるべし、光輝きあるべし、
大正3年5月 島村抱月識

社頭掲示板



粟島公園と「お初の墓」

ここから右およそ70m、粟島公園北端の小丘に立つと浜田港が一望におさめられる。
紺青の海と、湾内に浮ぶ馬島、やな島、そして遠く緑に煙る山なみが織りなす景観はまさに一幅の絵のようで、眺望絶景の地として広く知られている。
また、この地には世に云う鏡山事件の主人公「お初」こと「松田察女」の墓がある。女ながらに主人の仇を討ち、その勇気と果敢な行動は烈女の鑑として賞讃され、のちに浄瑠璃・歌舞伎に演じられていることは、あまりにも有名である。女主人「岡本みち」の墓はその遺髪を埋めて鏡山来福寺境内に建てられている。
この近くの極楽寺には徳川二代将軍秀忠の石碑があり、浜田城主古田重恒によって建立されたものである。

社頭掲示板



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