第45代聖武天皇の御代神亀2乙丑年6月朔日伊勢別宮より都濃郷大年免に鎮座、正徳元卯年都山(現地)に遷座せらる。 式内社・大歳神社の論社の一つ。 急な石段を降りた正面には、矢立神事が行われたとされる「矢立の松跡」がある。 |
由緒 式内大年神社、御祭神大年神、稲倉魂命、例祭11月1日 当神社は第45代聖武天皇の御代、神亀2乙丑年6月朔日伊勢別宮より、都濃郷大年免に鎮座、正徳元卯年都山(現地)に遷座せらる。 清和天皇貞観13年従五位上代賜り国史現在社であります。 当地の氏神様として産業の守護神として崇敬せられております。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大年神社 式内大年神社 御祭神 大年神 稲倉魂神 例祭 11月1日 当神社は第45代聖武天皇の御代神亀二乙丑年6月朔日伊勢別宮より都濃郷大年免に鎮座正徳元卯年都山(現地)に遷座せらる。 清和天皇貞観一三年従五位上代賜り国史現在社であります。 当地の氏神様として産業の守護神として崇敬せられています。 矢立の松 大年神社の年中行事の中で重大なものとして矢立の神事がある、8月15日矢立の松の神事、都野津大年神社前の松の根に的を立ておきて矢を放つ式を行った、現に同所に矢立の松根あり、明治維新まで行う、とある。(多鳩神社記) 記 この矢立の行事は弘安年間蒙古軍の侵入を見張るために築かれた大年免の砦を守る武将が戦勝を占うための行事といわれているが、その後は農作の占いや五穀豊穣、天下泰平を祈願して正月9日に社前から神主職によって矢を射られていたもので、江戸時代には神主大崎(大前)家によっておこなわれた明和7年(1770)の「万書上帳」には矢立の松、毎年8月大前極人的射とある、当村の矢立の神事が弘安の昔に創始されたものとすると当時の矢立の松は元の大年神社付近にあったものと思われる。然し正徳元年(1711)現代の都ノ山に遷座の際に矢立の松も位置を換え現在の松(二世松)に選定されたものと思われる。 全国的にも例が少なく石見では当社のみで貴重な神事です。 社頭掲示板 |
大年神社 当神社は第四十五代聖武天皇の御代、神亀弐乙丑六月朔日伊勢別宮より都濃郷大年に鎮座 正徳元卯年都山(現地)に遷座せらる 公式HP |