石見における櫛色族の分布状態を考えると、大和の春日を本貫とした天足彦国押人を祖神とする一族が、石見一帯の海岸部を根処地として発展し、繁榮したものと思われる。 この石見の海岸部を根拠地とした櫛色氏族がその祖である櫛色天蘿箇彦命を祀った神社であろう。 石見国式内社で、益田市にある櫛代賀姫神社との関連が指摘される。櫛代賀姫神社の伝承によれば、大浜大谷浦に、女島(姫島)・男島(彦島)・中身島という島があり、姫島と彦島で、両社の櫛代賀姫命と櫛色天蘿箇彦命が逢引きしたとも。 |
由緒 御祭神 櫛色天蘿箇彦命 大年神 御年神 元大字久代字稲葉に鎮座、延喜式石見国34座の内式内神社にて重要な古社である。櫛色族の祖である天足彦国押人命の御子を祭神とし益田市久城鎮座久城賀姫命神社と関係が深い。大年神御年神伊二神は大字久代字庵の上に鎮座大年神社称していたが明治44年11月22日櫛色神社に合祀し櫛色天蘿箇彦命神社と称す。大正7年7月3日全焼、大正9年11月再建現在地に遷座鎮祭した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
櫛色天蘿箇彦命神社 記 1.社銘 櫛色天籬箇彦命神社 1.祭神 彦竟邪都命住吉大神 大年大神 1.例祭 10月17日.18日 由緒 当社は延喜2年制定の延喜式神明帳に登載せられてある延喜式神社石見の国三十四座の内の一座である 主祭神彦竟邪都命は古代石見地方に栄えた櫛色族の祖天足彦国押人命の後裔であって歴史的名社である。 社地は元稲葉の地にあったが大正10年現地に遷した。 明治5年村社に列格 昭和28年9月30日宗教法人神社本庁に従属して現在に至る。 社頭掲示板 |