社伝によると、阿波忌部氏の一族が氏神として祀り、やがて地方の産土神として祭祀するところとなつたという。 本殿背後には高さ4間幅6間あまりの大きな岩石があって往古はこの大石を祀つた。祭神が石門別であるのは石神を祀つた一つの証処であろう。 当社は毎週土曜日に石見神楽公演が行われており、 浜田市内約 50 団体が週替わりで約 1 時間の公演を行っている。 |
由緒 主祭神は、手力男命 配祀神は、建御名方神 石見の国三宮として創立年代不詳なるも、阿波忌部族が第15代応神天皇の朝石見の山守部となった時に勧請と伝えられ延喜式内社である。建御名方命は仁明天皇の承知2年12月信濃国諏訪神社より勧請後鳥羽天皇文治年間に正一位三宮大明神の称を許されている。武将の祈願信仰もあり朱雀天皇の朝、右近衛少将小野好古郷西下し藤原綾友の乱を平定に際し祈願奉幣の事有り。又毛利、吉川の祈請奉幣あり社領も36石3斗6升があり、古来より信仰の篤い神社である。明治6年県社に定められ三の宮として国司の巡拝の信仰から庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の12、3世紀の出来ごとである。現在島根県神社庁より特別神社に定められている。 石見の三宮は 浜田川の河畔三ッ子山の麓に有り、此の山には高さ4間幅6間あまりの大きな岩石があって本殿は其の前に建っている。又本殿の西側には烏帽子岩が有る。 特殊神事に贄狩祭がある 此の祭りは往古12月1日から翌年1月25日まで山狩をなし獲物の鹿を供え村内を始め近郷40ケ村の平穏繁栄を祈願した。鹿足郡は鹿を供え美濃郡は「みの」を献した慣習から其の地名が生じたと伝えられている。その後氏子10ケ村及び原井、浅井、長沢、黒川、後野、小笹、伊木、七条、細谷、旧浜田以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。現在は1月25日を祭日とし、さざえの酢物、くわ形もち、あおきの箸、かずらの輪にしたもの、神饌に合わせ猪の肉を供えて祭典を行い祝詞のあとに万才楽を奏上する慣習がある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大祭天石門彦神社 石見の国三宮 大祭天石門彦神社 御鎮座御由緒 大祭天石門彦神社 通称三宮神社 御主祭神 天力男命 配祀神 建御名方命 石見の国三宮にして創立年代不詳なるも阿波忌部族が第15代応神天皇の朝石見の山守部となったときに勧請と伝えられ、延喜式内社である。建御名方命は仁明天皇の承和2年12月信濃国諏訪神社より勧請、後鳥羽天皇文治年間に正一位三宮大明神の称を許されている。武将の祈願信仰もあり、朱雀天皇の朝、右近衛少将小野好古卿西下し藤原純友の乱を平定に際し祈祷奉幣のことあり。又毛利吉川の祈祷奉幣有り。社領も36石3斗6升があり、古来より信仰の篤い神社である。明治6年5月県社に定められ、三宮として国司の順拝の信仰から庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の12・3世紀のできごとである。現在島根県神社庁より特別神社に定められている。 石見の三宮 三宮で知られている浜田市黒川の大祭天石門彦神社はあめのいわと主祭神天力男明、配祀神建御名方命2神を祭祀る社で浜田川の河畔三つ山の麓にある神社で、この山には高さ四間、幅六間余りの大きな岩石があって本殿はその前に建っている。 又本殿の西側には烏帽子岩がある。 特殊神事 贄狩祭往古12月2日から翌年1月25日迄山狩をなし獲物の鹿を供え村内を始め近郷四十ヶ村の平隠繁栄を祈願した。ちなみに鹿足郡は鹿の足を供え美濃郡は「みの」を献した慣習からその地名が生じたと伝えられている。 その後氏子十ヶ村及び原井、浅井、長沢、両黒川、後野、小笹、伊木、七条、細谷、旧浜田以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。 現在は1月25日を祭日とし、さざえの酢物、くわ形餅、あお木の箸、かづらの輪にしたもの神饌に合わせ猪の肉を供えて祭典を行い祝詞の次に万才楽を奏上する慣習がある。 昭和62年7月吉日 社頭掲示板 |