延暦2年(783)正月21日大和国宇多郡笹幡宮(篠畑神社)より勧請と伝わる。 現在の社地に移る以前は、氏宮の地にあり、さらに以前は久利町と大屋町の堺にあたる八代谷にあつたと伝えられ、宮跡は現在もあり、祭祀用につかわれたと思われる須恵器の壼も最近発掘された。 |
由緒 山辺八代姫命と申すのは天照大神の別名で今から約1200年前の延暦2年(783)大和国宇多郡笹幡宮(現存し、伊勢におうつりになる前の宮)より勧請、古くは延喜式内社として国幣をたまわり、久利郷八ケ村の総氏神として栄え、又相殿の八幡宮は約700年前京都の石清水八幡宮より勧請、久利氏・毛利氏の崇敬あつくまた延命長寿の神としての信仰があり、旧社領六石五斗は毛利氏の寄付による。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
山辺八代姫命神社 山辺八代姫命神社 祭神 天照大神 相殿 八幡宮 山辺八代姫命と申すのは、天照大神の別名で、今から約1200百年前の延暦2年(783年)大和国宇多郡笹幡宮(現存している)より勧請古くは延喜式内社として、國幣を賜わり、久利郷へヶ村の総氏神として栄え、又相殿八幡宮は約700年前の建仁2年(1202)京都の清水八幡宮より勧請、久利氏、毛利氏の尊崇あつく、また延命長寿の神としての信仰があり、旧社領の六石五斗は毛利氏の寄進であった。 列祭 10月11日 月次祭 毎月15日 境内社 粟島神社 婦女子の守護神、また医薬の神として古来崇敬あつく、江戸時代の末には、一願成就の宮と呼ばれ、ねがいごとのかなう神として、石東一帯から多数の参拝者でにぎわったと伝えられている。 社頭掲示板 |