新具蘇姫命神社
にいぐそひめのみことじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】新具蘇姫命神社 石見国 安濃郡鎮座

   【現社名】新具蘇姫命神社
   【住所】島根県大田市川合町吉永606
       北緯35度9分59秒、東経132度30分39秒
   【祭神】新具蘇姫命
       (合祀)天照大神 応神天皇 神功皇后 比淘蜷_

   【例祭】4月8日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平3年(713)8月3日鎮座
       天長2年(825)従五位下
       文治年中(1185−90)今の地に遷
       天正12年(1584)2月社殿再建
       明暦2年(1656)4月加藤明友社殿修造
       文政6年(1822)造営
       明治6年村社
       大正2年10月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは現在の社殿の後方の新山に鎮座
        文治年中(1185−90)今の地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「吉永神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       幣殿・拝殿・社務所・宝物庫

   【境内社】熊野神社

往古神田五町歩あった。神田の地は今に垣内田という。これらの社領は南北朝動乱の際武家のために略奪せられ、それより殿宇荒廃して祀典も絶すという。


新具蘇姫命神社

御 由 緒
式内社 新具蘇姫命神社
御祭神 新具蘇姫命 応神天皇 息長足姫命 比淘蜷_
当神社は聖武天皇の御代、天平3年(731年)に創建され、延喜式神名帳に記載されている式内社で、石見地方でも最古の神社の一つである。
主祭神の新具蘇姫命は五穀の守護神、農耕の神様、乳製品(蘇=チーズ)の神様、家畜の神様として近隣の人たちからも深く崇拝されてきた。
古くは現在の社殿の後方の新山に社殿があった。
国守時代国幣小社であり天平年間に従五下に神階を授けられた。
戦国時代 尼子 毛利 小笠原氏の尊敬篤く社領、社殿を寄進し、国家安康、武運長久を祈願した。
江戸時代に入り吉永藩主加藤氏の産土神として尊崇篤く、社領を安堵し、御祈願所として毎月1、15、28日に参拝した。
また一宇一千経を境内に奉納し祈願した。また累代の銀山奉行、代官も社領保護、神器を奉納した。
明治5年村社に、大正2年 神饌幣帛料供進社に指定された。
大正2年田中台にあった村社八幡宮を合祀した。
御鎮座地 島根県大田市川合町吉永606番地
境内社
熊野神社
御祭神 伊邪那美命 速玉三男命 須佐之男命 大山祇命

社頭掲示板



新具蘇姫命神社

資料によるとニイグソは文字通り新しい糞と解する説が有力で、その名義は人糞を肥料として利用したことに由来するといいます。現代の感覚ではとんでもない命名に思えますが、書紀や古事記には糞に関する記述が頻出するのです。当時はこの語に嫌悪感はなく、むしろ農耕や生活に密着した存在だったようです。時代は下りますが、平安貴族も幼名に糞の字を用いたことが知られています。有名な紀貫之も、幼名は阿古屎(あこくそ)というのです。彼は延喜式と同時代の人であり、そのことからもこの頃は、神や人の名にこの語を用いることに抵抗感がなかったことが分かります。むしろこの場合は、魔除けの意味で積極的に用いたと考えられますので、新具蘇姫も同様の意味があったかも知れません。

http://www10.plala.or.jp/comainu/comamori-no-page-4.htm



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