川添神社
かわぞえじんじゃ


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【川添神社略記】

一.鎮座由来
大和朝廷成立期、伊勢・熊野周辺の国造として、伊勢の高倉山〔外宮の鎮座地付近〕に「建日別命」〔たてひわけのみこと)〔別名=高倉下命・天香山命・建日起命)がお住まいになられていました。「建日別命」は、朝廷の命令により栃原周辺の奴(地方豪族)を討伐後、三方向を濁川の急流に囲まれた要害の地である牟山野(宮野地内)に住居を移され、栃原周辺を治められました。
江戸時代以前、現在のご本殿の東方(現国道42号線の中央付近)に直径三尺(約1m)ほどの榊の大木があり、それを神籠木(ひもろぎ)として『榊元神社』〔さかきもとじんじゃ)が鎮座しておりました。その『榊元神社』に、「建日別命」を産土神として「天手力雄命」と共に祀り、『建日別神社』と呼ばれるようになったことが当神社の創始と考えられます。
その後、その左側に山の神の小社、右側に五社が鎮祭され、正月には甘酒を山の神に捧げる神事。田植えの頃には倉稲魂神(うかのみたまのみこと)と他の神々に御弊を懸げ、牟山の前面に広がる原野(宮野)から豊富な狩りの獲物が授かるように祈る神事が行われており、『ごみかけの宮』とも呼ばれるようになりました。
明治時代になり、旧川添村の各部落(高奈、粟生、上楠、下楠、神瀬、栃原、新田、千代、柳原)に祀られていた『八柱神社』等十五社とその墳内社六六社を合祀し,『川添神社』(郷社)として現在に至っております。
二.境内面積 二反六畝二三歩(約2655平方m)
三.御本殿 神明造(構造 千木堅魚四方匂欄擬宝珠付萱葺用材簀ノ子縁)
五身懸祭
一、祭典日2月19日直近の日曜日【例祭日旧暦2月19日】
二、祭祀概要 山の神の神事や仏教信仰と結びついて、五柱神「倉稲魂神(穀物・商業)」「少名彦名神(農業技術)「大国主神(五穀豊穣)」「埴安彦神(土壌・陶器)」「天照皇大神(日本の総氏神)」と産土神に,五穀豊穣,諸業繁栄,氏子の安泰などを祈願する当神社独特の祈年祭である。
栃原地区と新田地区の当番組によつて奉仕され、該当地区から神社への行列のほか、主な神事は特殊な神事として全国的にも珍しい。
三、主な神事
@神酒神事・・・当番者持参の御神酒を神前に捧げ、当番者がいただいた後,参列者や参詣者も団子と共にいただく。
A弓射神事・・・弓射当番者(年長者が兄者)により、約30m先の的(径約2m「太」字入り)を射る。牟山野(宮野)での狩猟の様を再現し、神々に捧げ感謝する。
B万歳楽神事・・・曼陀羅に描かれている印度の聖衆の「権現」である日本の神々の弥栄を祈り、『まだらーく万歳』を唱えながら、参詣者が小榊を地面に打ち付ける。
C苗松神事・・・『まだらーく万歳』を唱えながら参列者が苗松をまわり、作物の豊作・諸業の繁栄などをお願いした後、苗になぞらえた黒松の穗先を争奪し合い、その年の豊作を願う。穂先を得た者は、その年の豊作・繁栄が約束される。


郷社 川添神社

祭神 天手力雄命 建比良部命
合祭
 天忍穂耳命 天穂日命 大山祇命 蛭児命 誉田別命
 天津彦根命 活沖彦根命 熊野久須比命 田心姫命 湍津姫命
 市杵島姫命 倉稻魂命 大己貴命 太田命 大容姫命
 天児屋根命 金山彦命 保食命 須佐之男命 軻遇突智命
 国狭槌命 木花開耶姫命 句々廼馳命 熊野橡樟命 皇大神荒御魂
創建年代詳ならす、相伝ふ上古なりと、享保風土記に云く、「神武天皇の朝、多氣郡相鹿の郷司桿馬を天日別命に奉りて曰く、当郷に荒振神あり速に官兵を以て平げ給へと、是に於て天日別命急ざ出陣ありて之を亡ぼし、且曰く茲は山水明媚なりとて其村に住み給ふ、是今の栃原の建日別宮なり云々、」神社覈録に云く、「佐那神社二座、佐那は假字也、祭神手力雄命、若佐那女命、佐那仁田村に在す、式四(伊勢大神宮)凡大神宮年限満応修造者、遣使、孟冬始作之、神宮七院、社十二処、佐那社云々、古事記(神代段)次手力男神者、坐佐那縣也、同(開化段)曙立王者、伊勢之佐那造之祖、倭姫世紀に云く、佐那縣造祖彌志呂宿禰命(儀式に御代宿禰に作る)連胤按するに、儀式解頭書に、里老は手力男命、若佐那女命を祭る同社の傍に小社あり、これ御代宿称を祭る也、といへり」と、神名帳考証再考に、「佐那神社、古事記に、思兼神の事をいひて、次に天石戸別神、亦名謂櫛石窓神、亦謂豊石窓神者、御門之神也、次手力雄命佐奈縣に在と文を属けたれば、天石窓神と手力雄神と二座を此に祭るなり」と見ゆ、勢陽俚諺に、「彌志呂宿禰命、若佐那女命也。此社に手力雄命を祭ると云ふは非也、手力雄社(式外)栃原村にあり、といへど、今は里老の説に從ふ」と見え、式社検録によれば、式内社相鹿牟山神社を以て当社とする由説くものあれども、未だ証拠を得ざれば後の考証を埃つ、明治8年11月郷社に列せられ、同40年12月17日村社八柱神社六社、同楠神社、無格社六社及び境内社六十社を合祀し、旧來建日別神社と號せしを明治41年川添神社と改称す。
社殿は神殿、拝殿、中門等具備し、境内坪数708坪〔官有地第一種)を有し、外に御料林七畝二十八歩明治42年境内編入許可せらる、社頭は総て老杉古桧森々として空を蔽ひ、殊に社前の周囲二丈五尺余の老杉は本社の往古を語るものの如し。
宝物は太刀一口(備前長船在銘)、同三口(無銘)、獅子頭(二箇)、弓(二張)、矢(六本)、神鼓(一箇)其他古文書等あり。

明治神社誌料






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