鎮座地は今迄に三転したという。 前社地は、近くの小池山と呼ばれる山麓にあり、その前の社地もその付近にあつたという。 寛政9年(1797)9月24日現社地に遷した。 往古は、因幡・伯耆にまたがる7ヶ村の氏神だったという。中世以降は絹見村の氏神となった。 |
幡井神社 延喜式所載の神社なり、宝亀3壬子年勧請せりと傳ふ、古老の口碑に古來社地を転すること三度にして、現社地に鎮座せられ、郷中の大社にして因伯二州に跨る久津賀七ケノ庄 絹見、長和瀬、簡地、石脇、泊、園、宇谷の七ケ村 の氏神なりしが、中世以降僅に絹見一ケ村の氏神となれりといふ、明治元年境内鎮座末社稲生社 祭神保食神 同村字天王鎮座摂社稻生社 祭神保食神 摂社子守大明神 祭神天熊人神 を合祀す、明治4年村社に列格す。大正5年3月2日大学絹見字天王鎮座無格社引地神社 祭神須佐之男命 を合祀し同年4月17日青谷村大字長和瀬字宮ノ前鎮座村社長和瀬神社 祭神須佐之男命 及び同長和瀬神社境内神社たりし水無瀬神社 祭神事代主命 を合祀す、大正7年4月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |