主神は古くから瀬織津比当スと考えられて来た。 利川神というのは、元来社前を流れている利川そのものをいつたのではながろうか。 享保10年(1725)台風により被害を受けたため三町ばかり東に離れた所(字中瀬)にあつた鎮座地から現在の社地(末社の荒神の森)に奉遷された。 当社の東300mにある秀麗な山容の船山(185.3m)の地にあったともいわれている。 |
利川神社 延喜式内の小社にして一に大森大明神と称す、郡中五社中に列する旧社にして、古くより社領五石を有す、寛文7年池田旧藩主より寄進せられたる証書に、先規より有之に付寄附する旨記載せり、当社元と字中瀬に鎭座せられ、早牛、山根両村の氏神なり、本社地古雷風永の難多く、享保9年社殿風破せるを以て、翌10年現地に遷座せられたるなり、明治3年社領を上地し同5年郷社に列し、同40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正6年9月19日同村字西村鎮座無格社山根紳杜 祭神素戔雄命 を境内末社稻生神杜に合祀す。 鳥取県神社誌 |