利川神社
はやかわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】利川神社 因幡国 気多郡鎮座

   【現社名】利川神社
   【住所】鳥取県鳥取市青谷町早牛855
       北緯35度28分48秒、東経134度0分40秒
   【祭神】速開津比当ス 速佐須良比当ス 瀬織津比当ス 素盞雄命 保食神
   【例祭】5月3日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀年代は不詳である
       寛文7年(1667)6月11日藩主池由光仲社領五石を寄進
       元禄12年(1699)釣鐘新鋳
       享保10年(1725)末社の荒神の森へ造営移転
       安永10年(1781)豊磐間戸命および櫛磐間戸命の像が再興
       明治3年社領上地
       明治5年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは300m東の地に鎮座
        享保10年(1725)末社の荒神の森へ造営移転

   【祭祀対象】本来は川を祀る
   【祭祀】江戸時代は「大森大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造柿葺
       拝殿・神門

   【境内社】

主神は古くから瀬織津比当スと考えられて来た。
利川神というのは、元来社前を流れている利川そのものをいつたのではながろうか。
享保10年(1725)台風により被害を受けたため三町ばかり東に離れた所(字中瀬)にあつた鎮座地から現在の社地(末社の荒神の森)に奉遷された。
当社の東300mにある秀麗な山容の船山(185.3m)の地にあったともいわれている。


利川神社

延喜式内の小社にして一に大森大明神と称す、郡中五社中に列する旧社にして、古くより社領五石を有す、寛文7年池田旧藩主より寄進せられたる証書に、先規より有之に付寄附する旨記載せり、当社元と字中瀬に鎭座せられ、早牛、山根両村の氏神なり、本社地古雷風永の難多く、享保9年社殿風破せるを以て、翌10年現地に遷座せられたるなり、明治3年社領を上地し同5年郷社に列し、同40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正6年9月19日同村字西村鎮座無格社山根紳杜 祭神素戔雄命 を境内末社稻生神杜に合祀す。

鳥取県神社誌



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