往古は、背後の高き山にあつたと傳へるも、何時頃遷されたのか不詳。 |
大和佐美命神社の獅子舞 この芸能は、鳥取県鳥取市中砂見字大湯棚に伝承される二人立獅子舞の一種で、神の権現としての獅子頭にその特徴が顕著である。通称キリン獅子とも呼ばれ、その頭の額には一本の角を生やし、ソギ竹のごとく直立した両耳を持っている。 芸能次第としては「練り込み」「小脚」「腹匍」「返し」「カンヌキ」「背切り」「脛折り」の舞振りを示して進行し、獅子あやしの猩々とのからみを見せる。 因幡地方の同類型の獅子舞のうちでも、その舞振りは比較的よく洗練され、また、獅子頭は特に貴重で、獅子舞系統の芸能としては地方的特色の著しいものである。公開は10月13日。 社頭掲示板 |
大和佐美命神社 創立年代不明だが、延喜式所載の高草郡七座の一つ。江戸時代は、旗刺大明神と称し、上砂見地区と中砂見字大湯棚地区の産土神が小字谷平に鎮座。 万延元年(1850年)谷平おん谷で山崩れがあり、社殿などが破損した。 明治元年8月に大和佐美命神社と改称し、同時に当村字谷平に鎮座の谷前神社(素盞鳴命)と同字小畑に鎮座の山神社(大山祗命)を合祀する。 明治4年に村社に列格。明治28年10月に本殿を改築、同40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定される。 雌雄二頭の麒麟獅子舞は、県無形民俗文化財に指定されている。 ヤマトサミノミコトか? 「オワサミノミコト神社」とか「オホヤマトサミノミコト神社」など記されている書物もありますが、国史大系本や鳥取県郷土史(昭和7年刊)では、「オホワサミノミコト」と読み、鳥取県神社誌(昭和9年刊)は「ヤマトサミノミコト」となっています。 「オホヤマト」か「ヤマト」か、「オホワ」が正しいのか決め難いところです。現在は、一部の古老に「ヤマトサミノミコト」が正しいとする人もありますが、当地では、一般に「オホワサミノミコト」と呼ばれています。 創立年代は不明ですが、三代実録巻十一貞観七年(865年)6月の條に、「八日丁巳因幡国無位(中略)大和佐美命神社並授従五位下」と記されてあります。 因幡誌によれば、旗差大明神・大和佐美尊神社とし、大和は姓、佐美は名であり、神の名を呼ぶ地名であるとしています。神祗志料にも「佐美」が「砂見(すなみ)」に転化したとしています。 また、大日本地名辞書や鳥取県郷土史には、大和佐美命を「野見宿禰の祖父ならむも計りがたし。」と記されていますが、地元では当地開発の祖神として大変崇拝されています。 禰宜の一考察 大和(やまと)は「倭」ととも書き、日本国そのもののことも解されます。「さ」は、昔から言語の発音の中で神様そのものを表す言葉ともいわれます。(例えば、荘厳で見る人を圧倒するくらいな花を咲かせる「桜」の語源には諸説ありますが、「さ(神様)」が「くら(神様の坐る所)」に降臨されるヨリシロ(憑代)であるという説があります。) つまり、大和佐美命は、大和(日本国)の佐(神々)が、美しく(麗しく、神々しく)御鎮座されている神社で、ご祭神様(国土形成〜神武天皇誕生までのあらゆる神様をご奉斎)を見ても、こんな山奥(おいで頂ければわかります)に、こんな由緒の神社があることに驚くとともに、氏子崇敬者また祖先の皆様の深い敬神の心を感じ、おもわず自然と手を合わせたいという心持ちにさせてくれます。 公式HP |
大和佐美命神社 延喜式所載の神社にして、三代実録巻十一貞観7年6月の条に「八日丁巳因幡国無位中略大和佐美神並授従五位下」と見ゆ、古くより旗差大明神と称し、上砂見、中砂未字大湯棚の氏神なり、明治元年8月大和佐美命神社と改称す、又同年同月当村字谷平鎮座谷前神社(祭神 素盞鳴尊) 同字小畑鎮座山神社(祭神 大山祇命)を合祀す、同4年村社に列格せらる、同28年10月11日本殿改築、明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |
大和佐美命神社の獅子舞 県指定無形民俗文化財 大和佐美命神社の獅子舞 指定年月日 昭和34年12月25日 県指定保護文化財 木造麒麟獅子頭 指定年月日 昭和29年 9月21日 大和佐美命神社の麒麟獅子舞は、県相でも珍しい二頭による獅子舞である。 中砂見大湯棚地区と上砂見地区の二地区からそれぞれ一頭ずつの獅子が出されるのである。 大湯棚地区の獅子は雄獅子といわれ、その獅子頭は江戸時代中頃のものと伝えられる。 また、その風貌は口や鼻の穴が大きく、極めて男性的である。 霊獣としての威厳も十分に感じられ、麒麟獅子頭の傑作として県指定保護文化財となっている。 上砂見地区の獅子は雌獅子といわれ、獅子頭は雄獅子と比較すると、その呼び名のとおりやさしい雰囲気が感じられる。 この麒麟獅子舞は、江戸時代、大湯棚地区に住む夫婦が鳥取藩の家老家に奉公したおり、「 権現流 」 を習い覚え、それを伝えたものといわれている。 また、この地区には麒麟獅子の頭より古い神楽獅子の頭が残されている。 このことからも元々は神楽獅子であったものが、権現流の麒麟獅子舞へ移り変ったものと思われる。 この麒麟獅子舞は、雌雄の舞とも 「 正統権現流 」 といわれている。 始めに雌獅子の 「 剣の舞 」 があり、続いて 「 本舞 」 が始まる。 この雌獅子の舞に次いで雄獅子の 「 本舞 」 が始まるのである。 大和佐美命の獅子舞は、県内での麒麟獅子舞の歴史を知るうえでもその価値は高い。 社頭掲示板 |