日吉神社境内社として、本殿向かって右手に鎮座している。 |
由緒 ふるさと文化探訪 日吉神社は国の史跡「布勢古墳」と同じ丘陵の山地内にあって、俗に「布勢の山王さん」と呼ばれ親しまれている。室町時代の守護大名山名氏が天神山城を因幡支配の拠点とするとき、近江国の坂本から日吉神社の御分霊を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。小児の疳を治す神社としても有名である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
天穂日命 この社は天穂日命(出雲臣らの祖先とされた神)を祀ったものです。ご神体は社務所の裏庭に奉られている宝筐印塔(穂拾塔)と言い伝えられている。 社頭掲示板 |
天穂日命社 市指定有形文化財 山王社地宝筐印塔 昭和56年7月30日 山王社地宝筐印塔が文献に最初に現われるのは、江戸時代前期の著作『因幡民談記』で、布施(勢)城図の中に「ホヒロヒ五リン」として山王社参道脇に図示されています。江戸時代中期の著作『因幡誌』は正しく宝筐印塔とし「昔は山王の社前の松原の道より北の方の田の中にありしと、近年社司の後園に安んず。(中略)按ずるにその型式宝経印塔なり」と記しています。「近年社司の後園に安んず」というのは現在の位置(社務所の裏庭)に相当すると考えられ、参道脇から移されて約二百年ほど経過したことになります。 石塔は花崗岩でつくられ表面の摩滅が著しく、相輪部は失われています。基礎の側面には「中心飾りつき格狭間」をもっており、これは但馬・丹波地方の特色です。塔身の四面すべてには、月輪で囲まれた金剛界四仏の梵字が刻まれ、笠は標準的な段型で隅飾りはやや外側へ傾斜しています。製作年代は南北朝前期から中期にかけての頃と推察されています。 平成15年3月 鳥取市教育委員会 社頭掲示板 |