伊和神社
いわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊和神社 因幡国 高草郡鎮座
          (旧地)伊和神社【旧地】

   【現社名】伊和神社
   【住所】鳥取県鳥取市岩吉249
       北緯35度30分43秒、東経134度11分42秒
   【祭神】大己貴神 (合祀)天照太神 素盞嗚尊
   【例祭】4月5日 例祭 7月5日 夏季大祭 10月5日 秋季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の由緒不詳
       応仁年間(1467−69)天下動乱のため神領は断絶
       天正年間(1573−92)兵乱で神領は再び断絶
       明和6年(1769)岩室大明神と称
       安政2年(1855)3月伊和神社と称

   【関係氏族】
   【鎮座地】西北約100mの岩室山が旧跡

   【祭祀対象】大岩
   【祭祀】江戸時代は「岩室大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       耳殿・籠堂

   【境内社】

境内地から西北約100mに、一つの岩山がある。これは古来岩室山と称せられ、その北側に隣接して存在してゐる大きな岩は、神社岩または岩室石とよばれた。ここが旧跡であつたと思われる。
伊和神社は当初から岩室のある場所(岩室村)でまつられ、その鎮座地に因んで、岩室大明神とよばれてきたのであろう。


伊和神社

延喜式所載の神社なり、又、岩室大明神と称す、現社地より西北二十間の処に一の岩山あり、其山の北側に大岩あり、高さ二丈余にして、古来其の山を岩室山と称し、岩を神社岩又は岩室岩と名づけ、党神社の旧後たり、蓋し神社名も之に則りたるものなり、当社は旧高草郡中の旧社に属し、社殿結構を極めしが、応仁の頃天下騒乱に際し、神領絶え、其後当国守護職山名氏神田を寄進せしが、天正年中国十兵乱に依て再び神領断絶せり、尚奮志に明暦3年、寛文7年、貞享5年の数度に亘りて、社地見改めを行はれたる旨を記す、貞享5年以前はは安長、湖山、吉山、足山、南ヶ隈五ヶ村の総社として崇敬せしが、享保年中故ありて氏子区域減少し後岩吉、足山二部落のみの氏子となれり、降りて明治40年12月1日松保村大字芦山字屋敷鎮座無格社足山神社(祭神 大己貴命)同村大字岩吉字屋敷山の下鎮座無格社吉川神社(祭神 須佐之男命)を合祀せり。

鳥取県神社誌



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