中臣崇健神社
なかとみたかたけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】中臣崇健神社 因幡国 邑美郡鎮座

   【現社名】中臣崇健神社
   【住所】鳥取県鳥取市古郡家161
       北緯35度27分14秒、東経134度14分3秒
   【祭神】大物主命
   【例祭】4月19日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       承安元年(1171)源頼政当社を信仰
       明治元年現社名に復称
       明治4年村社
       明治40年神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「岡森天王」と称していた
   【社殿】本殿なし
       拝殿・参籠所・手水舎・神樂殿

   【境内社】

「其祭る処神廟なし。但し林木営茂の地をさして神居とす。郷民伝へ云ふ。此神の形高大なり。神記に日、我形林梢と等しく、尋常の小祠に居ることを得ず、社宇を造るべからずと。是に依て社なしと。」『因幡誌』に記されていて。現在に至るまで本殿はない。石畳を石玉垣で囲っている。


中臣崇健神社

延喜式所載の小社なり、岡森天王と称し、国造伊福部氏の崇敬篤しと伝ふ。古くより本殿を建立せず、林中に石玉垣を築き神居となす即ち因幡誌に「岡森天王と称す、共祭る處神廟なし、但林木鬱茂の地をさして神居とす、郷民伝て云、この神の形高大なり、神記に我が形林梢と等し尋常の小祠に居る事を得ず、社宇を造るべからずと因て社なし」と記せり。陽成天王元慶元年9月大嘗祭に班幣に預る承安元年源頼政当社を信仰し、陶器製吊灯籠を献せりとの伝説あり。降りて明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

鳥取県神社誌



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