「其祭る処神廟なし。但し林木営茂の地をさして神居とす。郷民伝へ云ふ。此神の形高大なり。神記に日、我形林梢と等しく、尋常の小祠に居ることを得ず、社宇を造るべからずと。是に依て社なしと。」『因幡誌』に記されていて。現在に至るまで本殿はない。石畳を石玉垣で囲っている。 |
中臣崇健神社 延喜式所載の小社なり、岡森天王と称し、国造伊福部氏の崇敬篤しと伝ふ。古くより本殿を建立せず、林中に石玉垣を築き神居となす即ち因幡誌に「岡森天王と称す、共祭る處神廟なし、但林木鬱茂の地をさして神居とす、郷民伝て云、この神の形高大なり、神記に我が形林梢と等し尋常の小祠に居る事を得ず、社宇を造るべからずと因て社なし」と記せり。陽成天王元慶元年9月大嘗祭に班幣に預る承安元年源頼政当社を信仰し、陶器製吊灯籠を献せりとの伝説あり。降りて明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |