口碑によれば当社始め灰塚という処に鎮座せられしが後現社地に遷座した。 |
由緒 美幣奴神社 八頭郡郡家町篠波162 因美線東郡家秋東3Km 祭神 太玉命・瀬織津姫神・保食神 例祭 4月9日 神紋 蔦 本殿 入母屋造一坪(明治13年3月建)幣殿一坪・拝殿六坪 境内 六四〇坪 氏子 五〇戸 由緒 創立勧請年月日等不明であるが、当社は 旧私郡谷郷中の惣社であり、延喜式神名帳では因幡国の五拾座、式内神社に列せられている。今八頭郡に属する私郡郷篠波村に祀られる忌部大明神がこれであるが、社伝によると 忌部は人の姓であり、姓氏録作斎部、即ち太玉命を祖神とした。また美幣奴神と称したのは、日本紀神代巻天岩屋段に、太玉命は幣帛を作らせ、真榊木を枝に懸る事がみえるので美幣奴神といった。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
美幣奴神社 延喜式所載の小社なり、亦忌部大明神と称す、私都郷中の小社なり、因幡誌に「社伝曰、祭神天太王命と、按るに忌部は人の姓氏也、太王命を以て祖神とす、美幣神と称する事日本紀神代巻岩戸段に太王命をして幣帛を作らしめ、眞榊木の枝に懸る事見る、是其の由緒なるべし」と見え、又口碑に拠れば当社始め字塚といふ處に鎮座せられしが後現社地に遷座せらる、即ち旧社を焼却したるより灰塚と称したるより灰塚と称するに至れりと、又字内に安全田、供田等の耕地り即ち当社の祭田たりしなり明治元年8月境内鎮座稲荷神(祭神 保食神 )字瀧山鎮座瀧神(祭神 瀬織津姫神)を合祀す、同5年3月郷社に列格せらる、降りて明治43年3月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |