「布留多知」は「古太刀」が原義であろうが、それが二振あつたところから「太刀太刀大明神」ともいわれた。 上古諸鹿村の山中広富野に凶徒がいて不々岐と称した。祭神不々岐を斬って住民を安撫した。因てその功を崇敬し、古刀二振を納めて神体とした。 古くは現在地から東南の方角丹比村大字南294番地に鎮座していたが、今からおよそ150年余り前に現地に遷座した。遷座の理由は、神社近くの氏子ではない住民が神社を荒らし、御神体の古太刀を盗むことがあつたからと伝えている。したがつて、現在の御神体は、古太刀を入れていた箱だけであるという。 |
布留多知神社 ここ重枝むらには太刀太刀大明神をまつる「布留多知神社」があります。 この神社は九〇七年の「延喜式神名帳」にも著名神社として、安井宿の伊蘇乃佐只神社と会わせて記載されています。ここのまつってある太刀太刀大明神は、広留野の山中で人々をこまらせていた鬼神「不々岐」を二本の太刀で退治し平和をよびもどしたと伝えられています。ここ「布留多知神社」は、この二振の古刀を神体としたことから太刀太刀神社と呼ばれ、後に「布留多知神社」となったと言われています。この太刀は、石をも切ったと伝えられ、石をも斬る製鉄技術が古くからすでにこの地で発達していたことがうかがわれます。 社頭掲示板 |
布留多知神社 延喜式布留多知神と号す、因幡誌に「延喜式神名帳に載る八上郷布留多知神社是也、今神光衰へ田野の中叢社に座し玉へり、土人相伝へて曰く上古諸鹿村の山中広冨野に凶徒あり、不々岐と称す、州民是が為に苦しみけるを此神不々岐を斬て,国民を按撫し玉ふ、因て其功を崇敬し、古刀二振を納めて神體とすと、然れば神号布留多知は古太刀の仮名書ならん、按するに大和国に石上布留神社(山辺郡)あり、其祭る所十握剱也といふ、もし石上の神を移し祀れるも知らべからず」と記せり、此他詳かならず。 鳥取県神社誌 |