伊蘇乃佐只神社を氏神とする安井宿には、かつてこの神が開墾の時、笹で目を痛められたので、一般に行われる端午の節句の笹餅はつくらないという伝承がある。 本社の祭神御玉代は両神とも円形の石(直経約三寸位)であったが文化13年頃氏子相図って高さ三尺位の木像に改めた。 |
伊蘇乃佐只神社 延喜式所載の小社にして又文徳実録巻三仁寿元年冬10月の条に「戌申因幡国 中略 並授従五位下」と見ゆ、当社は一に浅崎大明神と称す、即ち因幡誌に「神号浅崎は此神上古此の地の浅崎(今田土の字となるも土云往古の川脉)の?り現し玉ふ故也と云ふ、」按るに伊蘇乃佐只は磯の崎なり、浅崎と義同し、上世の地名を呼ぶもの疑ひなし」と記せるにて明かなり、享保12年6月上旬火災に罹り宝物及び古器物等消失す、降りて明治元年7月当村字稲荷屋敷鎮座稲荷大明神(祭神 保食神) を合祀し、同5年3月16日郷社に列せらる、明治40年3月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、尚従来例祭日9月9日なりしを此年4月14日に変更す。 鳥取県神社誌 |