伊蘇乃佐只神社
いそのさきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊蘇乃佐只神社 二座 因幡国 八上郡鎮座

   【現社名】伊蘇乃佐只神社
   【住所】鳥取県八頭郡八頭町安井宿297
       北緯35度22分19秒、東経134度18分4秒
   【祭神】神直毘神 大直毘神 (配祀)保食神
       神直毘神・大直毘神を祀る社はそう多くはない。高名な社では博多の警固神社がある。

   【例祭】4月14日近い日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年月縁由不詳
       仁寿元年(851)10月從五位下
       文化13年(1816)5月ご神体製作
       明治5年3月7日郷社
       明治40年3月16日神饌幣串料供進神社指定
       昭和51年11月16日放火により焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「淺崎大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神饌所・参籠所・神門

   【境内社】

伊蘇乃佐只神社を氏神とする安井宿には、かつてこの神が開墾の時、笹で目を痛められたので、一般に行われる端午の節句の笹餅はつくらないという伝承がある。
本社の祭神御玉代は両神とも円形の石(直経約三寸位)であったが文化13年頃氏子相図って高さ三尺位の木像に改めた。


伊蘇乃佐只神社

延喜式所載の小社にして又文徳実録巻三仁寿元年冬10月の条に「戌申因幡国 中略 並授従五位下」と見ゆ、当社は一に浅崎大明神と称す、即ち因幡誌に「神号浅崎は此神上古此の地の浅崎(今田土の字となるも土云往古の川脉)の?り現し玉ふ故也と云ふ、」按るに伊蘇乃佐只は磯の崎なり、浅崎と義同し、上世の地名を呼ぶもの疑ひなし」と記せるにて明かなり、享保12年6月上旬火災に罹り宝物及び古器物等消失す、降りて明治元年7月当村字稲荷屋敷鎮座稲荷大明神(祭神 保食神) を合祀し、同5年3月16日郷社に列せらる、明治40年3月16日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、尚従来例祭日9月9日なりしを此年4月14日に変更す。

鳥取県神社誌



因幡国INDEXへ        TOPページへ



順悠社