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以前社地は、現鎭座地の上流50m許りの、小高い所にあつたと伝えられ、その辺りは宮ノ上(小字)と呼ぶ。 氏子は5月5日は粽は作らない。祭神が笹で眼を傷けられたからだと伝う。 江戸末期までは、千代川が社前を流れ、現在の鳥居あたりは船着き場に利用されていた。 |
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都波奈弥神社 延喜式所載の小社なり、文徳実録巻三仁寿元年冬10月の條に「戊申因幡国都波奈彌神授從五位下」と見え、又因幡誌に「都波奈彌神社二座、散岐郷和奈見村に祭る所の牛頭天王社是なりと云傳ふ、按ずるに今此地を和奈見と云ふは、都波奈彌の上略即ち地名を以て呼ぶならん、社殿に祭神素盞鳴尊、稻田姫を鎭祭して二座とす」と記せり、明治元年8月當村字宮ノ上鎮座岡神社 祭神天之忍穂耳尊天之穂日尊、天津日子根尊、活津日子根尊、熊野久須毘尊、多紀理毘売尊、多岐都比売尊、市杵島姫尊 を合祀す。明治5年10月村社に列格せられ都波奈彌神社と復称す、降りて明治41年11月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 社頭掲示板 |