創立年代、鎮座次第ともに不詳であるが、本社の後の丘陵を志保谷といい、村名を塩上と称する等祭神に縁由が深い地名が残っている。 元は二社あったようで、延喜式にも二座とある。宝暦6年に、その内の一社を再建した。 この地の古伝に、昔、塩ノ上の神は「ちまき」を食べる時に笹の葉で目を突き、片目が不自由になった、といわれる。 |
塩野上神社 祭神 彦火火出見命 塩土老翁(猿田彦命) 祭日 4月19日・7月19日 文徳実録(879)に、志保濃神社を式内社とし神階、「従5位下」を授ぐとありました、927年の延喜式神名帳の八上郡の条にも当社、2座が載っている。 因幡誌には、二囲余の榎が両側にあり、その奥に社殿があった。1756年(宝暦6)当社2座のうち一社が再建された。 神主は、大江神社の林左京亮藤原忠継。鳥居は、1828(文政10)のものである。 平成6年12月 船岡町教育委員会 社頭掲示板 |
塩野上神社 延喜式所載の小社なり、文徳實録巻三仁壽元年の條に「冬10月戊申因幡國志保濃授從五位下」とある神社にして、又塩の上大明神と称す、本社の後の丘陵を志保谷といひ、村名を塩上と称する等蓋し祭神に縁由深き地名なり、宝暦6年丙子中秋当社二座の内一社を再建す、降りて明治元年村社に列格し、同40年12月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |