下総国香取神宮、常陸国鹿島神宮の分霊を勧請奉祀したものといわれている。 往古は現在の美歎水源地より奥の稲葉山山頂付近屋敷平に戸数四戸の氏神として崇敬されていたが、人口の増加に伴って小字金内に神人ともに移転し、その後さらに鎮座地宮ノ前に移転したという。 |
美歎神社 美歎神社の創建は詳細には分からないが、清和天皇貞観16年(874)「因幡国従5位下美歎神に従5位上を授く」とあるから、少なくとも1000余年の昔から朝廷にも認められていたものと思われる。また承徳3年(1095)国主として因幡に下った平時範の日記にも「2月26日惣社並びに宇倍神社に参拝の後美歎神社を巡拝した」と記されている。当然延喜式神名帳にも記載された「式内社」である。 御祭神は経津主命、武甕槌命、市杵島姫命の3神で、前2神は天照大御神の命を受け、大国主命と談判して、国譲りの大業を達成された武勇の神であり、市杵島姫命はもと美歎の空ヶ滝に鎮座していた「滝神社」の祭神(水の神)であったが、当社に合祀されたものである。もともと美歎部落は、その昔因幡山の頂上付近(屋敷鳴=奥三谷)にあり、戸数4戸の氏神として祀られていたが、人口が増えるに及び金内(屋敷谷=二度村)に移転し、更に現在地(宮の前)に部落と共に奉遷されたと云われている。因みに現在地に社殿の造営は正徳二年(1712)と棟札に記されている。最近昭和12年(1937)本殿、幣殿が、更に昭和62年(1987)社務所、参籠所がそれぞれ改築された。 当社の例祭日は4月11日であるが、お祷祭として前日の夕刻より、御祭神が氏子の祷宿に御降神になり、氏子衆と共に一夜を歓談されることになっている。 社頭掲示板 |
美歎神社 延喜式所載の小社なり。三代実録巻二十五に「貞観16年5月11日戊戌授因幡國從五位下(中賂)美歎神並從五位上」と見え、又因幡誌に「武王大明神、西の山下にあり、延喜式神名帳に載る所美歎神社これなり小社なれども嚴然と今に存す、これも地名を以て称するなり、美歎は即ち三谷の假名書なり」と記せり、当社往古は字屋敷鳴(奥三谷)に戸数四戸の氏神として崇敬せしが、人口増殖するに及び字金内(二度村)に神人共に移転せり、其後更らに現今の所に移転せるなりと伝ふ。正徳2年9月1日社殿を建立す明治40年12月19日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、明治45年4月1日國府村大字美歎字空ケ瀧鋲座無格社瀑布神社 祭神市杵島姫命 を合祀せり。 鳥取県神社誌 |