「意上奴」は、古事記や万葉集・日本書紀などの読みでは、「オカミノ」と呼ばれていたと考えられる。「オカミ」とは、岡や水辺にすむ龍蛇の神で、水を司る神と信じられていた。 社殿はその昔、現社地より高所にあって、日本海航行の船より光るものが見え、恐れ多くて下に遷した、との伝説がある。山頂近くに泉があって、古くは馬の飲水に使用し、この傍に社殿があつたと伝える。 参道入口がある意上堤から境内までの約500mの参道が、原生林の巨樹の中を通っている。全山が当社社叢の自然林で県自然環境保全地域。 |
意上奴神社 当社社記によると文徳天皇仁寿2年(906)に神階正6位を授けられ醍醐天皇延喜5年(906)後一条天皇万寿3年(1026)には奉幣使を立てさせ給うなど往古より朝廷の尊崇深く又、国中に異常ある時は国主は必ず祈願したという延喜式内に列する古社であり県内屈指の大社でもある。 江戸時代には藩主の崇敬殊に厚く大祭には多数の参拝があり武士は競馬、騎馬等を催し盛儀を極め今に馬洗、馬場、矢谷等の地名を残す。当社は七社大明神とも称し禰宜谷、香取、紙子谷、広岡、舟木海蔵寺桂木の総社であり境内は巨樹林立し荘厳なる神域であり昭和59年鳥取県の天然記念物に指定された。 社頭掲示板 |
意上奴神社社叢 鳥取市の南部、JR津ノ井駅南方約1.5kmの丘陵地に位置する。標高100〜110mの北〜北東斜面に、面積約4haを占めて異なる林相の原生林的な照葉樹林が、大規模かつ良好に存在しており貴重である。胸高直径が2mに達する巨木が多数生育する。 尾根状乾燥陽地のスダジイ・ウラジロガシを中心とする林と、低湿地のタブノキを中心とする林の2種類の異なった極相林がみられる。 鳥取県教育委員会事務局 |
意上奴神社 延喜式所載の小社なり、又意上神社に作る、社記に文徳天皇仁寿年中正六位上を授けられ醍醐天皇延喜5年後一條天皇萬壽3年奉幣使を立てさせ給ひ又國中異常ある時は國守必ず當社に所願せりと記せり、當社は又七社大明神とも称せり。即ち禰宜谷、香取、紙子谷、廣岡、舟木、海藏寺、桂木、七ケ村の総社たりしが後五ケ村分離し現今香取、紙子谷二ヶ付の氏神となれり。境内は樹木繁茂し欝蒼たる神境にして郡中屈指の大社たり、即ち地方に禰宜谷、紙子谷、(神戸)宮田、意上田等の神社及び神領に因める字名を存し神名帳考証にも「宇倍神社ヲノゾキテハ國中ニテノ大社トオモハルル地ノサマナリ」と激賞せり、從ひて古来武人の此の森に胆を練りたる者多く躾て試家の尊崇殊に深く大祭には競馬騎馬等の催物ありき。現に馬場、矢谷、馬洗、馬ノ井等の小字残り居るに依りても往時の盛儀を想像するに足るべし。降りて明治元年6月境内末社稻荷大明神 祭神保食神 を合祀す。昭和6年11月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 鳥取県神社誌 |