現在地より東150mの地を元宮の跡と伝えているが、畑と化して、何時頃移されたのかも詳らかでない。 当社を巨濃郡 大神社に比定する説もある。 「多胡」の社名から、古代帰化人集団の祀る神社であるとする説がある。 |
多居乃上神社 延喜式所載の神社なり、因幡誌に「多胡大明神、田野の傍にあり、延喜式神名帳多居乃上神社これなり、當國五十座の一社にて、法華寺廣西聴町屋四ケ村の氏神なり」と記せり、明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正6ねん10月11日大字法花寺字土居鎮座今衣神社 祭神菅原道眞命 大字庁村字大木本鎭座庁村神社 祭神須佐之勇命 大字町屋字向土居鎮座小早神社 祭神速佐須良媛命 大字町屋字上土居鎭座町屋神社 祭神須佐之男命 を合祀し同年11月26日境内なる笹井神社 祭神少毘古名命 を合祀せり。次で大正13年本殿、拝殿を改築す、尚古來此の氏子の者にして章魚を喰へば崇りありとして禁ぜり、蓋し社名に似たるを恐みて忌みたるなるべし。 鳥取県神社誌 |