日野神社
ひのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】日野神社 因幡国 巨濃郡鎮座

   【現社名】日野神社
   【住所】鳥取県岩美郡岩美町大谷2181
       北緯35度34分33秒、東経134度17分55秒
   【祭神】誉田別神
   【例祭】4月15日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       天正年中(1573−92)山中鹿助が乱入社殿焼失
       明治初年村社
       大正3年9月14日暴風のため社殿倒壊
       大正6年現在地に社殿を再建遷座
       昭和4年4月12日神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は字牧谷の「日野谷」
        中古洪水により神廟海に流れて大谷の浜に御遷座
        大正6年現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「日野八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・神輿庫・参籠所

   【境内社】

旧跡は、同町字牧谷の「日野谷」(和名抄、日野郷)にあつたが、中古洪水により神廟海に流れて大谷の浜(日比屋の浜)に漂着したと云伝う。現在の社地は、大正6年、大谷の浜が倒壊したので現在地に遷宮した。


日野神社

祭神 誉田別命
例祭日 4月15日
秋祭日 9月15日

延喜式神名帳に載る神社にて創建は不詳であるが、900年頃と推定される。
御祭神は足仲彦命の皇子にして、御母は神功皇后で、第15代応神天皇として天下を治め給う。
応神天皇、神功皇后は共に当時の先進的大陸文化を我が国に取り入れられ、古代にあっては日本文化の興隆をはかられた御神徳が仰がれている。明治の初め、村社に列格し、神餞幣帛料供進社に指定される。氏子の厚き日野八幡宮とも称す名社である。

社頭掲示板



日野神社

御大礼記念事業の記
式内社日野神社(祭神応神天皇)は、延喜式神名帳(927)に記載されている由緒ある八幡宮である。当初日比屋の浜に鎮座されていた神社も、天正年間(1574)兵火により社殿古記録が、日比野千軒と共に焼失、其の後再建され明治初年(1873)村社に列格、大正5年現在の地に遷座再建された。昭和4年(1929)神饌幣帛料供進神社となった。昭和40年代、松くい虫の全国的蔓延により鎮守の森、老松の生い茂る参道の松並木、これらがことごとく被害をうけて枯れ、社殿は荒涼とした姿でとり残され、老朽化は更に進んだ。折しも平成の御大礼の儀が執り行われ、この機に記念として日野神社および沙弥長神社(祭神仲哀天皇)、恵比須神社(祭神事代主神)の修復計画が立案された。財源として岩美西小学校建設のため、神社地の一部を用地に要請され、その売却代金をあてることとした。
衆知をあつめての記念事業は、氏子各位(戸数187)の理解により平成2年に工を起こしてから順調に進み、殊に特別寄進事業者の良心的な施行、総代役員の献身的な奉仕により、このたびにごとに竣工した。事業の完成を機に産土の神として一層の信仰を深め神々の御加護により大谷の人々が安らかに、また大谷の地がますますの発展を願うものである。
平成4年10月10日

社頭石碑



日野神社

延喜式所載の小社なり、天正年中山中鹿之助の戦乱の時社宇兵焚に罹り古記録共他焼失せるを以て沿革詳かならざれど因幡誌に「日野八幡宮日比屋の濱にあり延喜式神名帳に載る日野神社是也此の神祠往古日野郷日野谷と云ふ処にあり 浦往保吉田牧谷の旧名也其神迹今蔵王権現華表の北の山麓にあり 中古洪水の時神廟流れて海中に入り日比屋の濱頭に漂着す、因て共儘其所に祭ると云伝ふ今に於て吉田牧谷の士人3月15日を祭て日野谷休と云ふも往古よりの土俗此神の祭日の縁と聞へたり」と記せるを見る。明治初年村社に列格し大正3年9月14日暴風のため社殿倒壊す、同5年12月20日大字平野字屋敷鎮座村社平野神社を合祀す。次いで翌6年社殿を再建せり昭和4年4月12日神饌幣帛料供進神社に指定ぜらる。

鳥取県神社誌



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